2013年8月25日日曜日

テーマにみる近代日本画(泉屋博古館分館)

東京、六本木にある泉屋博古館分館で行われた、その収蔵品による、近代日本画の展覧会。

狩野芳崖の寿老人。七福神の一人、寿老人が、岩に腰掛けている。輪郭線の太さや濃淡で、画面の中のオブジェクトの存在感を描き分けている。その手法は、どことなく、曾我蕭白による仙人像を連想させる。

蕭白ほどには、エキセントリックな絵ではないが、あご髭の一本一本がピンと伸びている様子は、その描かれている人物の尋常でなさを、よく表している。

橋本雅邦の深山猛虎。二匹の虎が、滝のような渓流が流れ落ちている深い山奥に描かれている。二匹は、画面の右上を、警戒するように、睨みつけている。画面には描かれていないが、その方角には、龍がいることが、想像できる。

龍そのものを全く描かずに、その存在感を、虎の様子から感じさせるという、見事な手法。

狩野芳崖は、文政11年、1828年。橋本雅邦は、天保6年、1835年の生まれであることに気がついた。

二人とも、明治時代の画家というイメージが強いが、ほとんど江戸時代の人間と言ってもいい生まれ年だったのだ。

富岡鉄斎の3枚の水墨画。最後の文人画家といわれる富岡鉄斎。彼も、その生まれは、天保7年、1836年だった。

岸田劉生の四時競甘。桃、柿、瓜など、四季の果物を、掛軸の日本画に描いている。タッチは粗く、果物の輪郭と色は、微妙にずれている。濃厚な油絵の麗子像の岸田劉生とは、全く違った画家がそこにはいた。

望月玉渓の孔雀図。六双二曲の屏風に、二匹の孔雀が描かれている。その孔雀の羽の細かい描写に、身を奪われ、時間を忘れてしまう。対象を見つめる目と、それを表現する絵師としての技術。いずれが欠けても、この絵は生まれなかっただろう。

わずか40点ほどの出展ながら、日本画の真髄を味わうことができる、印象深い展覧会だった。

2013年8月18日日曜日

アンドレアス・グルスキー展(新国立美術館)

ドイツの国際的に著名な写真家、アンドレアス・グルスキーの写真展。

何よりも目を引くのは、巨大な広角のレンズで撮影された写真の数々。アメリカのショッピングセンター、日本のスーパーカミオカンデ、北朝鮮のマスゲーム、高層のオフィスビルディングなどなど。

オフィスビルの写真は、近寄ってみると、オフィスビルの各フロアの机の上まで、はっきりと見ることができる。

こんなの、広い範囲を、これほど細部まで鮮明に、どうやって撮影したのだろう?と、その技術力に、まず感心させられる。

それらの写真は、実際は撮影されたままのものではない。何枚かの写真をデジタル合成したり、撮影後に不要な被写体などをキレイに消し去ったもの。

本当の現実ではなく、グルスキーの視点によって、加工されたもう一つの世界だ。

被写体は、いずれも、決して目新しいものではないが、グルスキーの写真の中では、自分が思い描いているものとは、少し違って見えてくる。なにか、その対象が、荘厳なもののように見えてくる。

グルスキーは、水面を撮影するのが好きなようで、ところどころに、いくつかのバリエーションのものが展示されていた。いずれも、黒い水面に、光が当たって入る部分が、白い線や円形のような形になっている。

美術館のスタッフに尋ねたところ、グルスキーは、この展覧会の会場のレイアウトや、写真の並べ方、すべてをデザインしたという。ところどころ、迷路のようになっていて、うっかりしていると、いくつかの作品を、見逃してしまう。

作品のそばには、小さな数字のラベルが貼られているだけで、作品の名前や、撮影場所や時期などは、いっさい書かれていない。見学者は、作品リストに書かれた数字を目当てに、作品リストから、作品名や撮影場所や時期を知るしかない。

これも、グルスキー自身が、そうしてほしいと指定したという。とにかく、自分の作品以外の展示は、最小限にしたかったのだという。

この展覧会場の中は、その作品も、展示スペース自身も、すべてグルスキーがデザインしたもの。文字通り、グルスキーの世界、そのものだった。

時代を作った技(国立歴史民俗博物館)

千葉、佐倉にある、国立歴史民俗博物館で開催された企画展。

会場の入り口に、古代に作られたシンプルな陶器と、中世に作られた、漆の茶碗、陶器の器、箸などの、現代とほぼ変わらない食器のセットが、並べて展示されていた。

中世の時代に、いかに技術が発達したのか、一目瞭然。

広島の福山市の草戸千戸遺跡は、場所が中州だったこともあり、中世の村全体が、そのまま発見された珍しい遺跡。この遺跡によって、文書や絵巻物、出土品から、断片的にしかわからなかった中世の生活の全体像が、初めて明らかになったという。

中世という時代が、最近まで、あまりよくわからなかった、ということが、意外に感じられた。

おそらく、中世に発達した技術の多くは、宋からもたらされたものだろう。それが、足利幕府の弱体化に助けられ、各地に広まっていったのだ。

福岡は、宋からの技術がもたらされる玄関口であり、そうからの人々が住んでいる、宋人町があったことが、遺跡からわかっている。

織田信長が、瀬戸焼の職人の棟梁に書いた文書。その地位を保証する代わりに、自らの市でのみ売ることを求めている。地方の守護や実力者による技術の囲い込みの一例だ。

当時の職人たちの給料は、職種によって、おおよその相場があったらしい。決して高い給与ではなかった様だが、物価もやすく、十分に生活していけるレベルだったようだ。

福島県のある鍛冶屋には、自分たちの職業の始まりから、今日に至るまでの歴史が、古事記などの日本の創生神話と絡めて、長々と書かれている巻物が伝わっているという。自らの職業への自負と、正当化の意識が現れている。

中世というと、古代の貴族の時代から、武士の時代へ変化した時代、というイメージが強い。しかし同時に、宋における大きな社会の変化が、日本にもたらされ、日本の社会を大きく変えていった時代でもあったのだろう。

その後、江戸時代には、そうした技術が地方に定着、発展し、各地に特産品というものが生まれた。

モノ作り大国といわれる日本。その現代の技術大国の基礎は、中世の時代に築かれた、ということが、目の前の展示品によって、鮮やかに立証されていた。

曼荼羅展(根津美術館)

根津美術館が収蔵する、曼荼羅を中心とした仏教界がコレクションを中心にした企画展。

これだけ多くの曼荼羅を、一度に目にする機会は少ない。貴重な展覧会だ。

およそ、2メートル四方の、金剛界八十一尊曼荼羅。13世紀の鎌倉時代に作成されたものだが、実に、色鮮やか。しかも、細かい描写で、数えきれないほどの、たくさんの仏が描かれている。

修行する僧たちによって描かれたのか、あるいは、専門的な絵師たちによって描かれたのか。いずれにしろ、現代の絵を描く、という行為と、行為としてみれば同じなのだろうが、意味的には、全く違っているのかもしれない。

14世紀の鎌倉時代に作成された、愛染明王像。こちらは、色が大分落ちてしまっているが、この仏画の特徴は、この絵に描かれた文字にある。

この文字は、後醍醐天皇が書いたという説がある。武力では、劣勢にあった南朝としては、愛染明王のような、密教のパワーに、すがるしかなかったのだろう。

文字を書くことによって、この世界を変えることができると、信じられていた時代の文字を目に前すると、何とも不思議な思いに捉われる。

今日の社会において、文字には、そうした力は、すでに無くなっているように見える。

奈良の当麻寺の当麻曼荼羅。数多くのコピーが存在するが、この会場にも、室町時代に描かれたものが展示されていた。

本物は、写真やテレビの映像でしか見ていないが、色も落ち、描かれている仏や建物も、判別できなくなっているが、この写本は、まだ色も鮮やか。本物ではわからない、細部の部分まで、よく見える。

仏教の曼荼羅というコンセプトを、神道に取り入れて作成された垂迹曼荼羅。日吉山王、春日宮、熊野などの神社の景色や、祭神が描かれた曼荼羅が、並んで展示されていた。

垂迹という方法論、外から来たものを、その形だけを取り入れるという方法論は、現在に至るまで、この国の最も基本的な、方法論である。

曼荼羅は、大日如来が、あらゆる仏に変化する様子を描いている。ひとつの原理が、すべてのものに変化したのが、この世界である、という発想は、物理学の発想と、基本的には同じだ。

曼荼羅を見ていると、さまざまな妄想が止まらなくなってくる。

2013年8月17日土曜日

大倉コレクションの精華Ⅱ(大倉集古館)

大倉グループのコレクションを一同に紹介する企画の第2段は、近代日本画の名品展。

出展された作品の多くは、昭和4年にローマで開催された、日本美術展に展示されたもの。この展覧会は、大倉グループの全面的なバックアップの元で行われた。

当時のイタリアのムッソリーニ政権との友好という意味合いも強かっただろう。

そうした政治的な背景を知ると、何となく、複雑な気持ちを抱いてしまうが、目の前に現れた作品は、文句なく、美しいものばかりだった。

横山大観の”夜桜”。大観の数ある作品の中でも、最も鮮やかな作品の一つだろう。夜でありながら、篝火の中に、白い桜と、緑の松が、華やかに浮かび上がっている。

近づいてみると、桜の花びらのひとつひとつ、篝火の火の粉のひとつひとつまで、克明に描いている。

大観は、このローマでの日本美術展に深く関わり、そのポスターを描き、オープニングに当たっては、わざわざローマ入りし、開会式で挨拶を行った。

その大観の夜桜の隣には、前田青屯の”洞窟の頼朝”、という作品が、大観に対するように展示されていた。伊豆での挙兵が失敗に終わり、少数の人数で、洞窟に隠れていた、という歴史の一場面を描いている。

頼朝をはじめとして、周りに集う一人一人の、鎧の表面に編まれた紐まで、細かい筆先で描いている。中心の頼朝の朱色の鎧と、その引き締まった表情が、頼朝の強い意思を、象徴している。

下村観山の”不動尊”。不動尊とその脇尊を、黒地で描き、目鼻などの線を、金の絵の具で描いている。何とも、大胆でダイナミックな作品。

一転して、墨一色の作品。田能村直入の”万里長城図巻”。こちらは、ローマ展への出品作ではない。直入は、高名な田能村竹田を継いだ一番弟子。竹田と同じく、豊後竹田の出身。その丹念な筆さばきには、時間の立つのを忘れてしまう。

ローマ展のことなど、今日では覚えている人など、それほど多くはないだろう。美しい日本絵画を楽しみながら、歴史の一ページにも触れた経験も味わえる、不思議な展覧会だった。

フランシス・アリス展 ジブラルタル海峡編(東京都現代美術館)

東京、木場の東京都現代美術館に、あのクレイジーな男が、またやってきた。

メキシコの広大な平原で、消えては現れる、トルネードに、ハンディカメラを持って、その中に突入していった、クレイジーな男。

フランシス・アリス。

今度は、どんなクレイジーなことを、しでかしたというのか?

2008年に、アフリカ側とヨーロッパ側をわかつ、ジブラルタル海峡に、双方からの子供たちの列で、架け橋を作る、という、これまたクレイジーな試みだ。

その様子を映像に収めた、”川に着く前に橋を渡るな”、という作品が、展示されていた。

勿論、ジブラルタル海峡を、徒歩で渡ることはできない。"子供達は、空想の世界の中で、出会うことができるだろうか?"と、映像の中のナレーションが語っていた。

水着姿のモロッコとスペインの子供達が、サンダルで作った、船の模型を手にして、砂浜から、並んで海に向かって進んで行く。

押し寄せる波が、子供達の前進を阻もうとするが、子供達は、その波を楽しむかのいうに、笑顔で、向こう岸に向かって、進んで行く。

カメラは、子供達といっしょに海の中に入って行く、決して綺麗ではない、緑がかった海の水が、画面一杯に広がる。時々、水草が、視界に映り込んでくる。

会場には、この作品の企画資料や、実際に使ったサンダルの船の模型も合わせて展示されていた。

アリスが描いたスケッチやアイデアのメモなどとともに、ジブラルタル海峡を超え、アフリカからの違法入国者に関する新聞記事の切り抜きも展示されていた。その多くは、悲しい結末を伝えている。

他に、子供の遊ぶ様子を映像に収めた、”砂の城”、”水切り”、という2つの作品。砂の城は、ベルギーで、水切りは、モロッコで撮影された。

この2つの作品は、撮影された土地に関わらず、日本を含めた、世界中のいろいろな場所で、行われている遊び。アリスは、そうした子供の遊びを映像化することで、いろいろなことを語っているように思える。

誰もが、心の中に持っている、幼い頃の遊びの経験。無駄なように見えて、実は、とても大切なそれらの行為。

逆に、重要と思われていること(仕事、政治、宗教?)が、こうした子供の遊びと、本質的に何処か違うのだろうか?などなど。

春に行われたメキシコ編に続き、今回もまた、そのクレイジーさをいかんなく発揮してくれた、フランシス・アリス。

クレイジーであるということだけが、現代の行き場のなくなった状況を、変えることのできる、唯一の方法なのかもしれない。

2013年8月10日土曜日

モネ、ユトリロ、佐伯と日仏絵画の巨匠たち(ホテルオークラ)

ホテルオークラで、1994年より、毎年開催されている、チャリティーイベント、秘蔵の名品アートコレクション。これまで18回で、45万人の人が訪れ、その収益から1億6千万円を赤十字に寄付してきたという。

寡聞にも、これまで、全くこのことは知らず、今回、初めての鑑賞の機会を得た。

ホテルでの開催ということで、多くのホテルマンが、入り口で、朗らかに、”いらっしゃいませ”、と出迎えてくれた。他の展覧会ではあり得ない経験に、戸惑いながら、会場に入る。

ジュール・シュレの3つのポスター作品。恥ずかしながら、初めて聞く名前だった。説明資料によると、それまで文字が中心だったポスターに、初めて、躍動感のある絵を取り込んだ先駆者だという。ロートレックの先人といったところだろうか。

佐伯祐三の絵が、7点も展示されていた。ちょうど、佐伯に興味がある時期だったので、これはうれしかった。

パリに来てまだ間もない時期に描かれた、セーヌ河の見える風景。まだ、佐伯の代名詞ともいえる、看板の文字が入っていない。

死の前年に描かれた、リュクサンブール公園。こちらも、看板の文字は描かれておらず、長く伸びる道と、そに両脇に連なる、ポプラの木の描写が印象的な一枚。

ギュスターブ・モローに絵を学び、フォービズムを立ち上げたアルベール・マルケ。しかし、マルケの描くパリは、野獣という感じではない。後期印象派風の穏やかな雰囲気を漂わせている。

小磯良平のパリ風景。軽いタッチで、色も薄く、画面の前面に、建物の鉄の黒い手すりを描いている。その手すりの線が重なっており、直線の重なりが、幾何学的な不思議な印象を与える。

出口近くに飾られていた、藤田嗣治の6枚の絵。第2次世界大戦の際に帰国し、従軍画家だった時に、ベトナムの風景を描いた、仏印メコンの広野。

そこには、あの個性的な少女や、フジタの白でパリを席巻した、エコールドパリの画家の面影は、全く感じられない。藤田嗣治という画家の、もうひとつの悲しい側面が、現れている。

他にも、モネ、ルノワール、シャガール、キスリング、児島虎次郎、岡鹿之助などの作品が展示されていた。

LOVE展 アートにみる愛のかたち(森美術館)

六本木ヒルズにある森美術館での、開館10周年を記念した、大規模な展覧会。テーマは愛。

それにしても、この美術館のスタートから、もう10年もたったのかあ。時間のたつのは、早いなあ。

となりの森アーツセンターギャラリー美術館では、ハリーポッターの特別展が開催されており、夏休み中ということもあって、入り口の前は、ものすごい行列。その人混みの間をぬって、会場に向かった。

うーん、さすが10周年記念ということもあり、実によくうまく企画されている。非常に幅広いアーティストの作品を取り揃え、彼らがどのように愛を捉え、作品にしたかを提示し、来場者に、あなたはどの作品が好きかあるいは嫌いか?あるいは、あなただったら、どのように表現しますか?と、問いかけているようだ。

杉本博司による、文楽についての展示。10世紀に製作された十二面観音と、自らが企画した、文楽の公演、曽根崎心中の映像を展示している。

文楽では、表情のない人形を使って、男と女の愛憎劇が演じられる。その制約の多さの中で、人間の愛の形が、より濃縮されて表現される。

ゴウハル・ダシュティの今日の生活と戦争。架空の若い夫妻の、何気無い日常生活の風景を、戦車や、防空壕など、戦場を連想させる背景に撮影した、4枚の写真作品。

戦場が、つねに身近になってしまった現代社会を、強烈に皮肉った作品。写真というメディアのパワーを、改めて実感させる力作。

荒木経惟が、自らの新婚旅行での妻を撮影した、センチメンタルな旅。荒木の妻は、決して美人とはいない。その妻の何気ない表情や、ヌードが写っている。

荒木がこの写真を見る時、他人がこの写真を見る時、それぞれの人物の中で行っていることには、天と地ほどの差があるに違いない。

名高い、源氏物語絵巻の模写。展示されていたのは、宿木と柏木の帖を描いたもの。光源氏が、自らの正妻と、自分の息子の親友との不倫の末に生まれた、運命の子、薫を、そうと知りながらも、抱き寄せている有名なシーンなど。

1000年以上も前に、この物語の作者、紫式部は、人間にとって、一番大事なことは、何なのかを、その壮大な物語の中で、現代に伝えている。

そして、この展覧会で、もっとも強く印象に残った、ソフィ・カルの、”どうか、げんきで”という作品。

一つの手紙を、何人かの女性に読んでもらい、一人一人の感想を、映像、写真、文章などにして、それを部屋の中に、まとめて展示している。

一部屋を使っていたこともあり、ソフィ・カルの作品の存在感は、圧倒的だった。

会場に行くまでは、LAVO展などというふざけたその名前から、ナンパな内容だろうな、と想像していたが、とんでもなかった。

愛という、この一言ではとても表現できないものを、アーティストたちが、どのように、格闘し、表現してきたか、を体感させる、かなりハードな展覧会だった。

浮遊するデザインー倉俣史朗とともに(埼玉近代美術館)

倉俣史朗の名前は知っていたが、その作品は、あまり目にする機会はなかった。

埼玉近代美術館で開催されたこの展覧会で、生涯に渡る、主要な作品を、初めて目にすることができた。

若き日の倉俣は、柳宗理のデザインや、芸術家集団である具体、イタリアのデザイン雑誌などに、強い影響を受けたという。

子供の頃から、小物入れに思い入れがあった、という倉俣の設計した、透明なタンス、波をうっているように曲がっているタンスなど、奇妙な形のタンスが、何点か並んでいた。

やがて、倉俣は、シュルレアリスム、とりわけマルセル・デュシャンに大きな影響を受ける。それ以降、倉俣は、デザインにおける無意識の重要性を、強く意識することになる。

しかし、本人は、アートとデザインの境界をはっきり意識しており、椅子を作っても、アート作品は座れないが、自分の作品は座って使われるもの、と言っていたという。

倉俣は、横尾忠則や安藤忠雄などの、他の分野のクリエーターたちとも、積極的に交遊し、イッセイミヤケの、東京やパリのブティックのインテリアデザインもこなした。

家具やインテリアのデザインの他にも、個人用住宅の設計も行っていた。

イタリア、ミラノのデザイン集団、メンフィスに参加して以降は、洗練された作品が増えたように思える。

アクリルの透明な椅子に、造花が埋め込まれていたり、大胆にガラスを織り交ぜたデスクなどの作品を見ると、確かに、あきらかにそれまでの作品とは違っている。

倉俣の代表作とも言える、オバQという名のランプは、プラスチックを、布のように折り曲げて、文字通り、お化けのQ太郎のようにしたもの。倉俣の、デザイン感覚とアート感覚が、見事にマッチしている。

こうして、倉俣史朗の生涯と、その作品を振り返って見ると、彼が、戦後の日本を代表するデザイナーであったことがよくわかった。

2013年8月4日日曜日

デザインが導く未来 榮九庵憲司とGKの世界/柚木沙弥郎 いのちの旗じるし(世田谷美術館)

世田谷美術館で開催された、この展覧会で、キッコーマンのあのお馴染みの瓶、 成田エクスプレス、モンカフェのパッケージなどが、榮九庵憲司とGKグループのデザインしたものであることを知った。

榮九庵憲司は、東京芸術大学在学中の1952年に、助教授の小池氏の名前から取った、Group Koikeを立ち上げ、”モノの民主化、美の民主化”をスローガンに、その活動を始めた。

この展覧会では、これまでの彼らの実績よりも、現在、あるいは未来への活動に焦点を当てていた。

この美術館の通常の展覧会ではあまり見られない、まるで企業の商業的なプレゼンテーションのような、会場デザインにまず戸惑った。

そこには、手を触れることで、映し出されている地球の映像を回すことができる、大きな”触れる地球”や、瀬戸内海で運行することを想定した飛行艇の模型、超軽量のバイク、体への負担を最小限に抑えた医療器具などが、展示されていた。

次のスペースには、中央に大きな仏像が置かれた、巨大なマンダラが、場所を占めていた。マンダラの表面をよく見ると、仏が描かれるべき所に、様々な道具の絵が描かれている。

榮九庵憲司は、道具村道具寺、という構想を持っている。その広大な寺の設計図と、完成のイメージ図が、展示されていた。人間と道具が共生する社会を目指してのことらしいが、少々、やり過ぎの感がなくはない。

しかし、未来の社会を作り上げていくために、デザインが必要だという発想には、大きな共感を感じた。

美術館の2階では、染色工芸家の柚木沙弥郎の作品展が行われていた。90才を越えた今でも現役で活躍する柚木の染物は、いずれも、素朴ながら味のあるデザインと色で、真夏の暑さを忘れさせる、なにか、心懐かしいものを感じさせる。

柚木は、学徒動員から戻った戦後、民藝の柳宗悦の書物に大きな影響を受け、柳から紹介された芹沢銈介との交流から、染色工芸家になることを志したという。

柚木は、絵本の挿絵も書いている。山下洋輔や、谷川俊太郎が文を書き、柚木が挿絵を描いた絵本が展示されていた。

いずれの展覧会も、人間とモノの関係について、改めて、じっくりと考えてみたくなる、そんな内容の展示内容だった。

文字の力・書のチカラⅡ(出光美術館)

東京国立博物館で開催されている、大規模な特別展”和様の書”、と連動するように、いくつかの美術館で、書に関する企画展が開催されている。

出光美術館で開催された、この展覧会もその一つ。小規模ながら、印象的な作品が見られた。

入り口の近くに、2つの作品が並んで展示されていた。伝紀貫之、高野切第一種。そして、伝小野道風、継色紙。いずれも、実に美しいかなの書。そのあまりの美しさを見ていると、本当はこの文字を誰が書いたのか、ということなど、どうでもいいことのように思えてくる。

平安時代の末期に書かれた、理趣経種子曼荼羅。大日如来などの仏を、一文字で表した種子で、曼荼羅として表現したもの。この書が書かれた時代は、文字には、大きな力があったのだろう。

豊臣秀吉の天下統一から、江戸幕府の成立にかけて、その難しい時代に帝位にあった、後陽成天皇は、書の名人としても知られる。展示されていた2点の書は、いずれも素晴しい。豊臣秀吉や、徳川家康といった歴史上の人物たちとの、決して楽ではない関係を生き抜いた、その人物の書は、そこに書かれている以上のものを、感じさせる。

一休の墨梅画賛。自ら、画と賛を書いている。賛の間に梅の枝を伸ばして、梅の花を、文字のように描いている。個性的な、というよりひねくれた、一休の性格が、よく現れている。

雪舟の書。南無布袋和尚と書かれた、六字一行書。よく見ると、太く書かれた部分が、鳥の形に似せて描かれている。雪舟が明を訪れた時に、向こうで流行っていた技法らしい。

良寛が、自らの漢詩を屏風に書いた、詩書屏風。流れるように書かれた漢字を、読み取ることは至難の技だ。良寛は、その書かれた意味を表すよりは、その心象を形として表したかったのだろう。

書は、その書いた人物のことを、よく表す。この展覧会では、改めて、そのことに気づかされた。

特別展観 遊び(京都国立博物館)

この展覧会を訪れた時、京都では、ちょうど祇園祭の真最中だった。

京都駅は、もの凄い人出。外国から訪れた観光客の姿も目立った。

そうした人混みから脱出し、タクシーを拾い、会場の京都国立博物館に到着したが、京都駅の混乱と違って、そこは、あまりにも閑散としていた。

遊び、というテーマは、おそらく、夏休みの家族連れを意識した企画だろう。

6世紀の青銅の須恵器。肩の部分に、相撲をしている二人を象った飾りがついている。相撲は、神に捧げる神事だったが、それを見る人々にとっては、遊びの一つであっただろう。

室町時代の成相寺参詣曼荼羅図。成相寺は、西国三十三所のひとつ。遠くのお寺を参詣することは、参拝者にとっては、旅行でもあり、日常の生活から抜け出し、気分をリフレッシュできる、貴重な機会であった。

中国の南宋時代に描かれた、2枚の羅漢図。酒を楽しむ羅漢と、お茶をたしなむ羅漢。お茶もお酒も、中国では、教養のある人物が、たしなむべきものとされた。その文化は、日本にも伝わった。

長沢蘆雪の唐子図屏風。唐風の衣装を身につけた子供達が、子犬たちと戯れている。その子犬の、ユーモアにあふれた、愛くるしい表現。長沢蘆雪の、遊び心が炸裂した、見事な屏風絵。

江戸時代に盛んに作られた御所人形。20体ほどが、一カ所にまとめて展示されていた。その独特の表情は、可愛らしくも、やや不気味な感じにも見える。子供が持っている、両面の要素を、見事に写し取っている。

会場には、外国人の観光客のグループが、興味深そうに、そして熱心に、展示品を眺めていた。

遊びは、どの民族にも存在する、人間の普遍的な活動でありながら、その具体的な遊びは、その国の文化が色濃く反映されている。

どの地域の遊びを見ても、自分たちの地域に共通する要素と、全く違った要素の、二つを見つけ出せることができるのだろう。

2013年8月3日土曜日

色を見る、色を楽しむ(ブリヂストン美術館)

”色を見る、色を楽しむ”という、不思議な名前の展覧会が、東京駅にほど近い、ブリヂストン美術館で開催された。

展示の中心は、マチスの色鮮やかな切り絵で構成された『ジャズ』、それとは正反対の、ルドンの黒一色のリトグラフ『夢想』という2つの作品。

マチスの『ジャズ』は、20枚から構成されている。いずれも、マチスの弟子が彩色した鮮やかな原色の紙から、マチスが形を切り取って並べ、完成させたもの。

その対面には、マチスの油彩画が展示されており、その違いを楽しむことができた。

切り絵では、その色と、ハサミで切り取られた形がすべて。油彩画に見られる、微妙な筆先の変化や、輪郭線の曖昧さなどは、全く見られない。油絵はアナログ、切り絵はデジタル、といったところだろうか。

切り絵という形式においては、色彩の画家といわれるマチスの特徴が、実によく表れているように感じられた。

ルドンの『夢想』は、ルドンがパリに出る前、生まれ故郷のボルドーにいた頃に出会い、大きな影響を受けた、アルマン・クラヴォーの死に捧げた6枚のリトグラフ集。

クラヴォーは植物学者で、顕微鏡を使って、若きルドンに、沢山の植物のミクロの世界を見せたという。そのイメージは、ルドンの心に強く刻まれ、パリに出た後のルドンの描く不思議な生き物の原型になった。

最初の5枚のリトグラフは、いずれもルドンらしい、幻想に満ちあふれた作品だったが、最後の”日の光”というリトグラフは、窓の向こうに、花が咲いている、といういたって平凡な内容。

しかし、その平凡さが、とても強く印象に残っている。

この展覧会では、開催される直前の2013年4月9日に、92才で亡くなった、ザオ・ウーキーを追悼する意味で、1室にウーキーの作品が、9点展示されていた。

ウーキーの”07.06.85”という作品は、ブリヂストン美術館の常設コーナーに、いつも展示されており、馴染みの深い作品だった。こうして、別の作品と並べて展示されると、いつもと変わった印象を受ける。

これまでは、その青い色だけが、強く印象に残っていたが、この日は、青が、他の白、緑などの色と、微妙に入り交じっている、複雑な色合いの部分が、強く心に残った。

ウーキーの作品は、この”07.06.85”のように、作品を完成させた日の日付けが、そのまま作品名になっているものが多い。作品は、その時の心象風景である、ということなのかもしれない。

”15.01.61”という作品では、青、緑、茶、黄、そして線の黒など、実に多くの色が、微妙に混じりあい重なりあい、何とも言えない芸術空間を作り上げている。

美の響演 関西コレクション(国立国際美術館)

関西に旅行したついでに、大阪の国立国際美術館で開催されていた、美の響演 関西コレクション、という展覧会を訪れた。

大阪、京都、滋賀、和歌山などの美術館が収蔵する、20世紀以降の現代アートの作品を、一同に展示するという、実に贅沢な企画だ。

20世紀以降の芸術といっても、実に多様だ。セザンヌ、ロダン、ピカソ、マチスなどに始まり、エルンスト、デシャンなどのシュールレアリズム、ウォーホル、リキテンシュタインから、現役のアーティストまで。

普段は、あまり目にすることのない、いろいろなアーティストの作品も含めて、多様な作家たちの多様な作品を、まとめて楽しむことができた。

アートの歴史の中でも、これほど劇的に変化した100年は、かつてなかったに違いない。それは、人間の社会自体が、劇的に変化した、ということも意味しているのだろう。

アンフォルメルの作家と言われる、ジャン・フォートリエの”人質の頭部”と”永遠の幸福”という2つの作品。前者の作品は、表現されている物が、何となく、人の頭部と想像できるが、後者は、一見すると、カラスミのようにも見え、その表題とは、どう考えても結びつかない。

ヴォルスの”構成”という作品。灰色の立体感のある背景が、白い細い線で、不均等な4つの空間に分割されている。それぞれの空間に、赤い絵の具が、不規則におかれている。偶然とも、必然とも見える、不思議なコンポジションの絵画だ。

サイ・トゥオンブリーの、”マグダでの10日間の待機”。子供のいたずら書きのような作品。ロラン・バルトは、この画家の、作品の多義的な内容を、高く評価していたという。

会場を後にして、ふと考えた。

はたして、次の100年で、アートはどんな風に変わって行くのだろうか?もしかしたら、これまでの100年ほどは、大きな変化は遂げないのかもしれない。