2013年12月8日日曜日

植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ 写真であそぶ(東京都写真美術館)

日本とフランスの、有名なアマチュア写真家をテーマにした展覧会。

たまたま、前日に植田正治の展覧会を見ており、同じ作品が多数あった。

そのせいもあり、植田よりも、ラルティーグの作品の方が、印象が強かった。

ラルティーグの作品は、人物を写したものが多い。被写体の人物は、いずれもラルティーグの友人など、身近にいた人々だったようだ。

プールに飛び込む瞬間、飛び上がった瞬間、恋人同士がじゃれあっている瞬間など、ラルティーグの写真には、スナップショットが持つ、躍動感が感じられる。

写真に焼き付けられた人々の表情は、実に自然。親しい人の前だからこそ、できるそうした表情。おそらく、撮影していたラルティーグも、笑顔だったのではないか。

逆に、植田の作品は、あらかじめ本人によって計画され、被写体の人物にもその意図が十分に伝えられているものが多い。

対照的な二人の作品だが、共通しているのは、写真を撮ることへの喜びが感じられることだろうか。

とにかく、この二人のアマチュア写真家の作品は、会場を訪れた人に、何はともあれ、まずはカメラを持って、表に飛び出し、何かを撮ってみろ、と叫んでいるように思えた。

古径と土牛(山種美術館)

小林古径の生誕130年を記念し、その弟弟子に当たる奥村土牛との関係をテーマにした、山種美術館での展覧会。

小林古径は、対象を線でしっかりと縁取りした上で、繊細な筆使いで、美しい絵画世界をつくりだす。

一方の奥村土牛は、あまり線は使わず、ぼんやりとした雰囲気の中で、少し幻想的な雰囲気を帯びた世界をつくり出す。

一見、対照的に見える表現方法を持った二人が、兄弟弟子だったというのは、興味深い。

土牛は、兄弟子の古径の真面目な性格を、心から尊敬していたようだ。

古径は、土牛に対して、絶えず絵のことを考えるようにすること、5分以上、絵のことを忘れることがないように、と語ったという。

5分以上、絵のことを忘れることのない人生とは、一体どんな人生なのだろう?

生真面目な性格の古径だが、不思議と、その絵には、独特のユーモアが感じられる。猿曳、という作品では、右の画軸猿の紐を持っている人物が、左には、嬉しそうに飛び回る猿がシンプルに描かれている。

西行法師、という作品では、西行が褒美としてもらった銀製の猫の置物を、子供に与える、という有名なエピソードを描いている。猫の置物を貰って、走り去る子供の描写には、思わず頬が緩んでしまう。

土牛の鳴門という作品は、文字通り、鳴門海峡の渦を描いているが、海の色の緑と、渦を描いている白の対比が美しい。

古径の死後、土牛は中尊寺の仏像を描いた。地元の少女をモデルにしたというが、どうも、私には、古径の面影が映されているように見えた。

2013年12月7日土曜日

幕末の北方探検家 松浦武四郎(静嘉堂文庫美術館)

松浦武四郎のことは、その名前を微かに聞いたことがある、程度にしか知らなかった。

武蔵野の面影残る森林の奥に佇む静嘉堂文庫美術館で開催された、この展覧会では、その松浦武四郎について、詳しく知ることができた。

この男、全く、とんでもない人物だった。

子供の頃から、とにかく遠くに行くのが好きだったらしい。よくふらっと家を出て、何日も帰ってこないことなど、ざらだったという。

成人すると、日本全国を歩き回るようになり、当時はまだ未開の地であった蝦夷地方を探検。その成果としての地図が展示されていたが、これが細かい。

一本一本の川、川の名前、その周りの村の名前など、実に細かく描かれている。

明治維新後、そうした実績を買われ、明治政府によっても北海道の開拓に関連した。何より、北海道という名前は、松浦が明治政府に進言し、つけられた名前だという。

松浦は、また古物の収集家、好古家としても知られていた。中国の青銅器、陶磁器、日本の古い土器や銅鏡、近世の工芸品など、実にバラエティにとんだ品々を収集していた。

松浦がコレクションを行うようになったきっかけは、幼い時に、地元の松坂にある本居宣長の鈴屋の古鈴のコレクションを見て、それがきっかけだったという。

妖怪図などで名高い河鍋暁斎とも信仰があり、晩年、自分を仏に見立てて、仏の涅槃図を描かせている。そこには、松浦が実際に収集した仏像など20点ほどのコレクションが、そっくりに描かれている。

また、引退してから、わずか一畳の茶室を造ろうとして、日本全国の寺社に、古木の提供を依頼した。出雲大社を初め、全国の有名な寺社から古木が集められたという。

松浦武四郎というこの桁外れの人物は、まさに、明治という時代を象徴するような人物だった。

生誕100年!植田正治のつくりかた(東京ステーションギャラリー)

アマチュア写真家でありながら、鳥取砂丘で撮影した、不思議な写真で名高い植田正治の生誕100年を記念した、東京ステーションギャラリーの展覧会。

家族を、自分の思う通りに砂漠に並ばせて撮影した、植田を代表する写真の数々。家族だけでなく、さまざまなパターンの砂漠での写真がある。

撮影された年代を見て驚いた。1945年の写真が多い。戦後間も無くだろうか、それにしても、戦後の混乱期といった、そうした時代の厳しさは、全く感じさせない。

植田というと、モノクロ写真が思い浮かぶが、会場にはカラー写真が多く展示されていて、意外だった。

ところどころ、写真と写真の間に、植田の言葉が紹介されている。

旅行が嫌いで、仕事以外では、ほとんど鳥取の地を離れなかったこと。生涯、アマチュアであることを誇りにし、他の写真家のアイデアを、盗むことを厭わなかったことなど、写真だけではわからない、植田の考えなどがわかり、面白かった。

砂漠で撮影した家族の写真や、砂丘モードの写真は、やはりインパクトがある。

しかし、植田は、その後も、いろいろなタイプの写真にチャレンジしていた。

そのチャレンジの中にこそ、アマチュア写真家としての植田の本質が、現れているように思えた。

2013年12月1日日曜日

日本のデザインミュージアム実現にむけて展(21_21 DESIGN SIGHT)

六本木にある、東京ミッドタウンの21-21DESIGN SIGHTで開催された展覧会。

2003年の会館以来、これまでに開催された23回の展覧会を4つのテーマにまとめ、この施設のスタートの一つの意図であった、日本におけるデザインミュージアムの開設を、改めてアピールするという趣意。

この施設も、すでに立派なデザインミュージアムだと思えるが。

最初のスペースは、CREATINGと題し、ルーシー・リィー、田中一光、倉俣史朗など、デザイナーの先人達をテーマにした展覧会を振り返っている。

続いて、広い大きなスペースは、FINDING、MAKING、LINKING、3つのテーマに分けられていた。

デザイン『あ』展、チョコレートをテーマにした展覧会。ペットボトルを効果的に使った展示で印象に残る水についての展覧会、東北の様々な民芸品や生活用品をテーマにした展覧会などなど。

こうして見て行くと、私が実際に足を運んだのは、全体の半分ほどだろうか。意外と通っているようにも、意外と行っていなかったようにも思える。

これまで訪れたことがある人にとっては、過去を振り返ることができるいい経験になるかもしれないが、初めて訪れた人にとっては、入場料に見合う価値があったのだろうか?

と考えてしまう内容の展覧会だった。

印象派を超えてー点描の画家たち(新国立美術館)

オランダにあるクレラー=ミュラー美術館の作品を中心に、後期印象、特に分割主義をテーマにした展覧会。

印象派における点描画の手法が、後期印象派を通じてオランダに渡り、ゴッホなどを通し、やがてモンドリアンの抽象的な絵画を生み出すまでを、様々な作品でその流れを辿ることができる。

会場の最初に展示されていたのは、モネの作品だった。色を線で描いて行くその手法は、その後の分割主義者たちに大きな影響を与えた。

スーラの点描画はさすがに素晴らしい。微妙な空の色合いを、スーラの点描画は見事に表現している。

スーラは、裕福な家庭に生まれ、他の多くの同時代の画家たちと違い、生活の心配をすることなく、色彩の研究と絵の作成に没頭していたが、わずか31才で他界してしまった。

しかし、その短い生涯を通じて、スーラの残したものは、あまりにも大きい。

この展覧会に展示された油絵はわずか3点だったが、十分、スーラの世界を堪能することができる。

点描画は、一般的には、色彩は上手く表現できるが、点で構成されているが故に、動きを表現することは、不得意だと言われていた。

しかし、点でなく、線を使うことで、絵を躍動的に描くことができる。ゴッホの種を撒く人、という作品は、点と線の描写を組み合わせ、色彩感が豊かで、しかも種を撒いている人の躍動感を、同時に表現している。

この展覧会は、宣伝では、どうしても、有名な、ゴッホ、スーラ、モンドリアンを前面に出している。しかし、見所は、日本ではあまり紹介される機会がない、オランダの後期印象派の画家たちが紹介されていること。

レイセルベルへ、ド・ヴェルド、トーロップ、といったオランダの画家たちは、忠実に、スーラの分割主義を継承している。中でも、ブリッカーという象徴主義の特徴を加えた画家の作品が、印象的だった。

そして、最後はピエト・モンドリアンのコーナー。

かつて、もっとも好きな画家の一人だったモンドリアン。最近は、少し熱が冷めていたが、久し振りに、まとまった数の作品を楽しんだ。

スーラの分割主義を友人を通じて学んだモンドリアンは、当時流行していた、神秘的な思想神智主義などの影響を受けながら、より抽象度を深めて行って、あの線と色だけの世界を作り上げて行く。その画風の変化を、このコーナーで追体験できた。


天井の舞 飛天の美(サントリー美術館)

サントリー美術館で開催された飛天のイメージを巡る、壮大なテーマの展覧会。

2、3世紀のガンダーラ地方の石の彫刻には、空を飛ぶ人のイメージが彫られている。ヨーロッパの天使とも繫がるそのイメージは、東アジアで、独自の展開を遂げることになる。

天女は、楽器を演奏したり、歌を歌う楽人のイメージと重なった。日本の雅楽の名でも、羽をつけ美しい衣装を着た人物画踊るという形式が見られる。

唐時代の敦煌の壁画を剥ぎ取ったといわれる壁画の一部。背中の羽根の羽毛の一本一本までが、細かい筆さばきで描かれている。

有名な、法隆寺金堂の飛天の壁画は、あきらかに中国の影響を受けている。

奈良国立博物館の14世紀の当麻曼荼羅の複写の中では、羽根を持った楽人たちが、歌い、踊る。

阿弥陀信仰来迎図の中では、飛天のみならず、阿弥陀自身が空を飛んで信者の元を飛んでくる。福島美術館の重要文化財になっている阿弥陀来迎図では、そうした仏たちが金色で描かれている。

禅の影響が強いせいか、仏教というと、地味なイメージが強いが、昔は、仏教とは大陸からもたらされた先進的なものであり、華やかなイメージに包まれていたのかもしれない。

この展覧会の目玉は、宇治の平等院の本堂の壁に飾られている飛天の展示。当時の様子を再現した天女は、原色で色鮮やかに彩色されている。

現在のくすんだ色合いからは、渋さを感じるが、作られた当初は、色鮮やかで、華やかな仏の世界が、この世に現れたように感じられたのだろう。

そこは、死んだ後に訪れる浄土の世界。西洋でいえば天国。絢爛豪華な世界であるべきだろう。