2013年4月17日水曜日

ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人(ニューオータニ美術館)

たくさんの美女に囲まれるのは、決して、気分の悪いものではない。

ニューオータニ美術館で、上村松園、鏑木清方、伊東深水らが描いた、日本美人たちの絵を目にして、そんなことを考えた。


日本画家の描く女性は、女性そのものというよりも、着物の絵、といった方が正しいかもしれない。

西洋の女性の裸体画と違って、日本画家の描く女性は、その多くが着物を着ている。

わずかに、顔と、手先、時に足先だけが、女性の体そのものを描いている。

池田蕉園の少女観桜。左右に描かれた幕の合間から、二人の着物姿の女性が、桜を眺めている。

この絵では、その着物自体が、幕の向こうに隠され、あまり描かれていない。

栗原玉葉の朝妻桜。江戸時代、寛永年間に実在した、キリシタンだった遊女、朝妻。死刑を免れることはできなかったが、せめてもの願いで、桜の季節にその刑が行われたという。

黒い着物に、長いロザリオを首にかけ、寂しそうに下をうつむく朝妻。しかし、その周りには、桜が咲き誇っている。

同じく栗原玉葉のお七とお染。いずれも、江戸時代に恋に生き、不幸な最後を遂げた二人の女性を描いている。

かし、二人とも、可憐な少女の姿で描かれている。そのことが、人間の情念の深さを、より強く表している。

増原宗一のいれずみ。いれずみの女性が湯船につかっている様子を、上半身のみ描いた作品。

風呂場の湯気の気配をぼかしの表現で描きつつ、女性の髪の毛の一本一本を丹念に描く。そして、少しだけ見える赤い入れ墨と、その女性の穏やかな表情とが、見事な対比で描かれている。

これは、私がかつて見た女性画の中でも、屈指の作品だ。

あらためて、会場を振り返って見ると、顔自体は、すべてが整った顔立ちをしているわけではない。着ている着物、仕草、場面などが、その女性を美しくしている。

日本画家たちが描いた日本美人は、決して、特定の女性を描いたものではない。女性という存在自体の美しさを描いたのだと、ということを、改めて感じさせられた。

0 件のコメント:

コメントを投稿