2013年10月12日土曜日

仙厓と禅の世界(出光美術館)

出光美術館は、仙厓の作品を多く所有することで知られる。これまでも、何度か仙厓をテーマにした展覧会を開催してきたが、今回は、禅僧としての仙厓にテーマを当てた内容だった。

仙厓は、現在の岐阜県に1750年に生まれ、地元の寺で臨済宗の僧として修行した後、横浜の東輝庵という寺でも修行を重ね、やがて、福岡の禅寺、聖福寺の住職となった。

晩年になってから、若き日に修行した寺を描いた東輝庵画賛。素朴ながら、それでも細かい筆さばきで、思い出の中にある、東輝庵とその周りの山麓の風景を描いている。

仙厓というと、その素朴な画風で知られる。しかし、同時に、厳しい修行を重ねた禅僧でもあった。仙厓は、難しい禅のエピソードを、わかりやすく、時に独自の解釈を加え、その絵とともに、若い僧たちに伝えた。

仙厓による、禅の経典、碧眼録の講義ノート。しっかりとした文字で、中国の禅の先人たちのエピソードを、延々と解説している。そこには、微笑ましい絵から受けるイメージとは、少し違った仙厓の姿が伺える。

しかし、仙厓の絵の前に立つと、やはり、その愛らしい、個性的な表現に、思わず笑みがこぼれてしまう。

南泉という高僧が、騒動のもとになったネコを殺してしまうエピソードを描いた、南泉斬猫画賛の中では、南泉は今にもネコを斬ろうと刀を振り上げているが、そのユーモラスな表情からは、とても実際に殺せるようには思えない。掴まれているネコも、そんなことは起こるまいと、のんきな表情に描かれている。

仙厓が晩年に使っていた茶器などの品々も展示されていた。仙厓が絵を付けた器もある。また、仙厓が作った茶杓も展示されていた。

仙厓は、88才で大往生を遂げるが、晩年は、死にまつわる絵が多くなった。いずれも、死を人生の一部として捉えるように、という趣旨の内容だが、もしかしたら、自分に対しての意味もあったのかもしれない。

この展覧会では、一休が応永の乱の際に、住吉に逃れた際に作った床菜庵という禅寺にゆかりの、一休の書や画賛も合わせて展示されていた。

一休は、仙厓より時代は大きく遡るが、同じ臨済宗の禅僧。

仙厓よりおよそ100年前に活躍した白隠も臨済宗の禅僧で、臨済宗という宗派の日本文化に対する影響の大きさを実感した展覧会でもあった。

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