寡聞にも、この2つの絵巻のことは全く知らなかった。
つきしまは、平清盛が福原に都を築いた時に、人柱になった松王にまつわる伝説を描いた絵巻物。16世紀の室町時代に描かれた。
文字通り、その素朴な表現には、これなら自分にも、もっと上手く描けそうだ、と思えてくる。そして同時に、もっと上手くかけるかもしれないが、これほど素朴には描けそうもない、ということにも気がつかされる。
よく見てみると、筆先の細かさに眼を奪われる。色合いも、いろいろな色をつかっている。詞書の文字は、達筆だ。単に、素朴、という言葉だけではすまされない雰囲気を感じる。
もうひとつの、かるかや、という絵巻は、ある親子にまつわる、高野山や善通寺を舞台にした説話物語の絵巻物。こちらも、116世紀の室町時代に描かれた。
素朴さ、ということでいえば、こちらの方がより素朴といえるかもしれない。
考えてみれば、絵巻物に置ける絵は、物語の理解を助ける、というのが第一義であり、その意味が伝われば、上手い下手は問題ではない。
この2つの巻物以外にも、おおくの、素朴な表現の展示品が、館内のあちらこちらに、展示されていた。
16世紀の室町時代に描かれた、雀の発心絵巻。子供を失った雀が、世の中の無情を嘆き、やがって出家するという、御伽草子の外伝の話をものとにしている。
絵はそれほど素朴、といった感じではないが、雀たちが主人公、というのが、ほんわかした雰囲気を醸し出している。
鎌倉時代に書かれた、伝燈大法師位僧明。様々なお呪いの言葉を、絵入りで書き記したもの。絵と言うよりも、記号のような、眼の形や顔の形が、今風に言えば、きもかわゆく、描かれている。
現代のアートや、漫画においても、素朴に描かれているキャラクターなどはお馴染みだが、こうした絵巻物の作品などを見ると、ある意味で、伝統に根ざしているとも言える。
狩野派に代表される、洗練された、上流階級向けの美しい絵画の伝統とは別に、こうした素朴な、民衆に寄り添った絵画の伝統は、これからも生き続けていくに違いない。
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