2013年7月7日日曜日

夏目漱石の美術世界(東京藝術大学大学美術館)

夏目漱石の作品には、洋の東西を問わず、数多くの美術作品が登場する。そうした作品や、関連作を展示するという、ユニークな企画展が開催された。

漱石は、明治時代にロンドンに留学したが、当時のヨーロッパは世紀末芸術が盛んで、イギリスではラファエロ前派が活躍していた。

『草枕』という小説は、一人の若い画家が、理想の絵を描くことを求めて奮闘する、というこの展覧会にピッタリの内容。エヴァレット・ミレイのオフェーリアの絵も、作品に登場する。

漱石の死後、松岡映丘らが中心となって、その『草枕』の作品世界を何枚かの絵に仕立てた。その内の何枚かが、展示されていた。

漱石が見た作品が、『草枕』を生み出し、その『草枕』がそうした絵を生み出した。不思議な美術世界の連鎖を目の当りにした。

会場には、漱石の小説と、その小説に登場する作品そのもの、あるいはそれと想像される絵画が、漱石の小説の文章とともに展示されていた。

いかに、漱石の文学世界に、多くの芸術作品が取り込まれていたのかが、よくわかる。

小説に絵画を登場させ、読者にあるイメージを説明するのは、ある意味では小説家の怠慢とも言える。あるいは、漱石は、文章で伝えられることの限界を十分に知った上で、そうした技法を取ったのかもしれない。

漱石の作品の出版には、当時の多くの画家が装丁や挿絵を担当した。『吾輩は猫である』などの、美しい装丁の当時の本が、多数展示されていた。

美術作品と漱石の繋がりは、作品の中だけではなく、そうした外面にもよく表れている。

漱石は、宝生流の能を学んでいたようで、謡の稽古を生涯にわたり受けていたという。

また、書や文人画もよく書いた。会場には、いくつかの作品が展示されていた。今日から見ると、素人の域を超えているように見える。しかし、明治の上流階級の中では、そうしたことは、決して珍しくはなかっただろう。

漱石は、芸術について、それはあくまでも自己表現であり、他人や世間への影響は、意識されるべき物ではない、と書いている。それは、他人の芸術作品は勿論のこと、自分の小説のことも意識して書いたに、違いない。

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