日本の書の各流派が、その垣根を超えて集結する、という日本の書展。新国立美術館の1階の半分ほどのスペースを使い、出展数は、1,500を超えていた。
書については、ほとんどといってほど、覚えがなく、その分、純粋に、様々な書の形を楽しむことができた。
草書、行書、楷書、といった言葉を当てはめながら、ブラブラと会場を回ったが、その多様さには、改めて、驚かされた。
鮮やかな色の色紙の上に書いた書。一字だけを、紙いっぱいに書いた書。わざと墨をぼかして書いた書。
法華経を巻物に書いたもの。古今和歌集や万葉集の歌を、巻物に、漢字あるいはかなで書いたもの。
定規で測ったように、上下真っ直ぐに書いたもの。自然と左に傾いてしまったもの。
明らかに、先人を真似したものもあれば、個性的な筆さばきを誇るものもある。
文字を組み合わせて絵のように仕立て、水墨画のように書いたもの。
文字は、始めは特別なもので、重要な記録などを記するために使われた。文字を書くということは、限られた人にだけ可能だった。文字を書け、読める人は、その時代のエリートだった。
現代のように、個人のプライベートな事柄を、文字を使って表す、などということは、そうした時代にあっては、考えられなれないことだった。
これほど多くの書が、その書いた人々の個性を表しながら、ただ展示される、ということ自体が、文字を取り巻く現代という時代の特徴を、よく表している。
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