2013年7月28日日曜日

<遊ぶ>シュールレアリズム展(損保ジャパン東郷青児美術館)

この展覧会の題名は、二つの意味を持っている。

シュールレアリズムの作家たちが、遊びの精神を持っていた、ということと、シュールレアリズムの作品を参考に、見る人も遊び感覚で、アート作品を作ってはどうか、ということの二つだ。

後者のために、会場の1階には、特設スペースが設けられており、自由に絵を書いたり、アート作品を作れるスペースが準備されていた。

会期が、夏休み期間に当たることもあり、子供向けの企画なのだろう。

さて、シュールレアリズムの作家たちは、どのように遊んだのか。

マン・レイが撮影した、代表的な作家たちの肖像写真。ブルトン、ダリ、デュシャン、エルンスト、ダリ、タンギー、そして自らのポートレイト。

遊ぶためには、まず、群れなければならない、ということだろうか。彼らが正然と並んだ集合写真は、ある意味で、シュールレアリズムの活動の本質を写し取っている。

それにしても、彼らが揃って写っている写真は壮観だ。この中に割って入るには、相当の勇気を要する。穏便な日常生活を送るためには、決して近づきたくはない人々だ。

マン・レイの、言葉遊びを巧みに使ったオブジェ。何気ない日常品を使い、同じ言葉の卑猥な意味を連想させる。そして、エルンストによる、コミック紙を利用したコラージュ作品。

いずれも、既成概念の危うさを、簡単なトリックで露呈させる。シュールレアリズムの精神が、実によく現れている作品。

エルンストの作品を参考に、岡上淑子が作成したコラージュ作品の数々。寡聞にも、これまで全くその名前を知らなかった。結婚を期に、故郷の高松に帰るまでの6年間に百以上の作品を制作したという。

マン・レイらの写真と並んで、植田正浩と瑛九の作品も展示されていた。本人たちは、自らをシュールレアリストであるとは語っていなかったようだが、明らかに、同じ遊び心を持っている作品だ。

ダリの反プロトン的聖母被昇天という油絵。お馴染みのガラをモデルにした作品。昇天していくガラがまとっている衣の、細部にいたる細かい繊細な筆使いに圧倒され、しばらくその前から動けなくなってしまった。

エルンストの版画集、博物誌。これは、万人にとっての博物誌ではなく、あくまでエルンスト個人の博物誌。結局のところ、この世界は、あくまでも、個人個人の心の中にしか、存在しないのだ、とあらためて感じさせられる、強烈な作品。

ああ、やっぱり自分は、エルンストが大好きなのだなあ。

最後に、出展リストを見直して気がついたが、およそ200点にも渡る展示作品のほとんどは、日本の各地の美術館が収蔵しているものだった。

この日本という国は、意外にも、シュールレアリズムの国だったのだ。

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