2013年12月28日土曜日

路上から世界を変えていく(東京都写真美術館)

今回で、12回目となる、東京都写真美術館での新進作家の作品展。

大森克己。ピンク色の球体を、わざとカメラと風景の間に入れて撮影している。風景は、震災の年に福島県で撮影したものが多い。

目ヤニがついた時に、風景がこんなふうに見えることがある。勿論、ピンク色には見えないが。

林ナツミ。いろいろな場所で、自分が浮遊している写真で一躍有名となった。

壁いっぱいに広がる、ほぼ等身大の林の浮遊写真。圧倒的な存在感を誇っていた。

糸崎公朗。何枚かの写真をつなぎ合わせて作品を構成する。町を歩く人と、その路上にいる虫を、それらの写真でつなぎ合わせる。

他に、家の写真を四方から撮影し、その写真を切り取って、立体的に組み立てた作品など。

鍛冶谷直記。歓楽街や、裏通りなどを撮影した写真。

津田隆志。「あなたがテントを張れそうだと思う場所」を人々に尋ねて、その場所を撮影した不思議な作品など。

5人の作家は、いずれも、写真というメディアに、内部や外部を問わず、ひと工夫を加えて、独自の世界を作り上げようとしていた。

高谷史郎 明るい部屋(東京都写真美術館)

芸術監督、映像作家として活躍する高谷史郎の、美術館における初めてとなる古典。

東京都写真美術館の地下1階の展示室は、アートの展覧会場というよりは、実験室のような、あるいは、デザイン会社の整然としたオフィスのようだった。

明るい部屋とは、哲学者のロラン・バルトによって1980年に書かれた写真論の題名。フランス語では、Camera Lucida。カメラとは違うが、画像を映し出す光学装置のこと。

会場の真ん中のテーブルに、そのCamera Lucidaを再現したものが展示されている。写真集が広げられており、その写真が、Camera Lucidaによって、小さなスクリーンに映し出されている。

その周囲の壁には、高谷の写真作品と、東京都写真美術館が収蔵する他の写真家の作品が、別々に展示されている。

高谷は、2008年に、明るい部屋という題名で、舞台上のパフォーマンス作品を発表した。舞台上に、カメラの内部でおこっていることを再現する、というのが、そのパフォーマンスのテーマだったという。

会場では、そのパフォーマンスの映像が、抜粋版で公開されていた。

映像作品として、他に、膨大な数のデジタル写真を、高速に次々と映し出す、frost frame。ハイビジョンの映像を、8つの画面に投影した、Toposcamが展示されていた。

海辺の岩場を映した映像が、画像処理されたストライプ上の映像に、右端から徐々に浸食されていく。

この展覧会は、まるで、高谷の頭の中の一部を、そのまま取り出してきたような、そんな印象を持った。

展示されている高谷の写真作品は、いずれも、1987年に撮影されたもの。その中に、雲を移したものがあった。

なぜだか、その雲の映像が、心に残っている。

2013年12月23日月曜日

かたちとシュミレーション 北代省三の写真と実験(川崎市岡本太郎美術館)

川崎市の生田緑地、鬱蒼と広がる森の奥にある、川崎市岡本太郎美術館。

そこで開催された、北代省三の企画展。

北代省三のことは、以前に見た、実験工房についての展覧会で知った。

北代は、1950年代には、絵画やモビール、舞台美術などの、いろいろなジャンルの作品に取り組んでいたが、1960年代以降は、写真を中心に活動するようになっていった。

初期の写真は、一見するとありふれた風景ばかりだが、構図にこだわり、幾何学的な造形を追求している。写真を始めたばかりの人が、はまりそうなパターンで、親近感を感じる。

そして、何よりも、そうした写真を、楽しみながら撮影している北代の顔が、思い浮かぶようだ。

やがて、雑誌の表紙などの写真が多くなり、いろいろなカメラを使った、実験的な作品を撮るようになった。

エンジニア出身であったという北代の、技術に対する興味が、そのまま作品に表れている。

北代の工房を撮影した写真が展示されていた。若い時と晩年の時のものだが、その風景はほとんど変わらない。それは、芸術家の工房というよりは、小さな町工場のように見える。

晩年には、子供の頃に憧れていたという飛行機に取り組むようになり、自ら模型を作って飛ばしたり、模型飛行機入門、という書物を書いたりした。

会場に、年老いて、模型の飛行機を手にし、満面の笑顔で、写真に収まる北代の姿があった。

子供がそのまま大人になった、という言葉があるが、北代は、その言葉が文字通り当てはまる人物だったようだ。

2013年12月22日日曜日

ジョセフ・クーデルカ展(東京国立近代美術館)

アジアでは、初めてとなる、クーデルカの本格的な回顧展。

チェコスロバキアなど、ヨーロッパ各地に暮らすジプシーたちの村に入り込んで、その生活の様子を映し出したジプシーズ。

亡くなった親族を取り囲んで、悲しみを共有している女性のジプシーたち。

警察に捉えられ、手に手錠を嵌められ、村人たちに送られながら連行されようとしている、若者。

小さな子供たちが、床に直接座りながら、集まって食事を取っている様子など。

そうしたジプシーたちの写真が並べれた細い回廊の反対側の壁には、チェコの劇場の様子を撮影した、劇場というシリーズが展示されている。

逃れようのない、ジプシーたちの現実の世界と、作り事を演じている架空の世界。その対比が興味深い。

プラハの春以降、国を追われ、ヨーロッパ各国を巡り撮影された、エクザイルズ。

1970年代、1980年代のヨーロッパ、アイルランド、イタリア、スペイン、フランスなどのヨーロッパの国々の様子が撮影されている。

そこに写されている風景は、いずれも、まるで近代化以前のヨーロッパのように見える。クーデルカは、現代においても、そうした極限の風景を見つけだす独特の感覚を持っているように思える。

クーデルカの名前を一躍有名にした、プラハの春の様子を撮影した、侵攻というシリーズ。

そこには、ソ連軍の侵攻に対して、街に繰り出し、戦車に対した、一般の人々の姿が映されている。その表情は、決して、作られた、虚構のものではない。リアルそのもの。それらの写真は、とても芸術とは呼べない。それらは、文字通りの記録だ。

1980年代以降取り組んでいるという、パノラマ形式のカオスというシリーズ。

それまで、一貫して人間を取り続けてきたクーデルカが、このシリーズでは、崩壊した古代の遺跡や、人が住まなくなった大規模な建物、などを撮影している。

しかし、そこには、人の気配がある。

クーデルカの作品は、いずれも、人間の極限状態をテーマにしているが、ジプシーの悲惨な状況を写した写真においても、何故か、洗練されたもの、高貴なもの、を感じる。

それこそが、クーデルカの、写真家としての本質なのかもしれない。

2013年12月15日日曜日

名品選2013 印象派と世紀末美術(三菱一号館美術館)

東京、丸の内にある、三菱一号館美術館でのコレクション展。

パンフレットには、ルノワールやモネなどのメジャーな先品の、鮮やかな絵画の作品が並んでいるが、この展覧では、リトグラフの作品が印象に残った。

ルドンの、『夜』と『夢想』というリトグラフ集。ノワール、といわれる、幻想的なイメージの数々。

人間の首が、気球に乗って飛んでいたり、人間のような表情をした昆虫のような不思議な生き物など、ルドンの独特の世界が展開されている。

この美術館には、グランブーケといわれる、ルドンの巨大な絵画がある。文字通り、巨大な花のブーケの絵だが、この絵は、とても静物画と呼ぶことはできない。

そこに描かれている花が、とてもこの世の花とは思えない。花という生き物が持っている神秘性、オカルト性が、見事に表現されている。

ヴァロットンがパリの街の様子を描いたリトグラフ集『息づく街パリ』。街を行き交う人々の何気無い表情が、ユーモラスな表現で描かれている。文字通り、パリの浮世絵といった趣き。

モーリス・ドニのアムールというリトグラフ集。パステルカラーで、恋人の様々なシーンが、ドニ特有の平面的で、装飾的な絵で描かれる。

ドニが婚約者のマルトをモデルに、自分たちの関係をそのまま描いたような作品。これほど美しい作品には、そうめったには、お目にかかれない。

吉岡徳仁ークリスタライズ(東京都現代美術館)

改装された、パリのオルセー美術館に、ガラスのベンチ、Walter Blockが展示されていることで一躍名前がポピュラーになった、吉岡徳仁。

会場の入り口には、クリスタライズ、という展覧会のテーマをイメージした、クリスタルを想像させる、不思議な細いストローのようなものが、うず高く積み重なり、会場を覆っている。

その不思議なオブジェに導かれるように、来場者は、吉岡の世界に引き込まれて行く。

水槽の中で、自然に成長する結晶をそのまま絵画作品とした、白鳥の湖。チャイコフスキーの音楽を聴かせながら、その結晶の絵画は、生み出されて行ったという。

アンリ・マチスのロザリオ礼拝堂に感銘を受けて製作された、虹の教会。吹き抜けの空間に設置され、圧倒的な存在界を誇る。

500個のクリスタルプリズムでできているステンドグラスは、室内に、その瞬間にしか現れない、虹の世界を作り出す。

自然の蜂の巣の構造は、ハニカム構造といわれ、軽くて高い強度を保つ。そこにヒントを得て紙だけで作られた、ハニーポップという椅子。勿論、人が座ることもできる。

吉岡の作品は、結晶、光など、いずれも自然の中にある構造などをヒントにしている。

現代という時代が、失いかけていて、しかも求められているものが、そこに表現されているように思えた。

うさぎスマッシュ展(東京都現代美術館)

東京の木場にある、東京都現代美術館で開催された展覧会。

何ともふざけた名前の展覧会だが、うさぎは、ルイス・キャロルの不思議の国のアリスに登場するうさぎを意味し、ワンダーランドに誘う者を意味し、スマッシュは、常識的な固定概念にたいする、一撃を表すという。なるほど。

サブタイトルには、世界に触れるデザイン、とある。

デザイン思考という言葉が、ビジネスの世界では、最近よく使われているが、この展覧会では、この世の中自体、社会を、どのようにデザインするか、をーテーマにしている。

OMA*AMOのEUバーコードは、EUの各国の国旗の色をバーコードのあしらってデザイン、それを実際のEUの首脳会議でも、その他のデザインと合わせて、実際に使用されたという。

マイケル・リーの住居シリーズは、大規模な集合住宅から、普通の住宅までを、シンプルな上部からのシルエットで表現し、展示する。

その中に、アンネ・フランクの住宅もあった。抽象化されている図のはずだが、それを受け取る人物の中では、必ずしも、抽象化されては受け止められない。

リヴィタル・コーエン&テューア・ヴァン・バーレンのライフサポート。うさぎのぬいぐるみや、 チューブや機器などで、生き物の仕組みを表している。

作品自体には、これといって目新しいものはないように思えたが、自分だったら、どのように、この世界をデザインするだろうか、といろいろ妄想する機会を得ることができた。

2013年12月8日日曜日

植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ 写真であそぶ(東京都写真美術館)

日本とフランスの、有名なアマチュア写真家をテーマにした展覧会。

たまたま、前日に植田正治の展覧会を見ており、同じ作品が多数あった。

そのせいもあり、植田よりも、ラルティーグの作品の方が、印象が強かった。

ラルティーグの作品は、人物を写したものが多い。被写体の人物は、いずれもラルティーグの友人など、身近にいた人々だったようだ。

プールに飛び込む瞬間、飛び上がった瞬間、恋人同士がじゃれあっている瞬間など、ラルティーグの写真には、スナップショットが持つ、躍動感が感じられる。

写真に焼き付けられた人々の表情は、実に自然。親しい人の前だからこそ、できるそうした表情。おそらく、撮影していたラルティーグも、笑顔だったのではないか。

逆に、植田の作品は、あらかじめ本人によって計画され、被写体の人物にもその意図が十分に伝えられているものが多い。

対照的な二人の作品だが、共通しているのは、写真を撮ることへの喜びが感じられることだろうか。

とにかく、この二人のアマチュア写真家の作品は、会場を訪れた人に、何はともあれ、まずはカメラを持って、表に飛び出し、何かを撮ってみろ、と叫んでいるように思えた。

古径と土牛(山種美術館)

小林古径の生誕130年を記念し、その弟弟子に当たる奥村土牛との関係をテーマにした、山種美術館での展覧会。

小林古径は、対象を線でしっかりと縁取りした上で、繊細な筆使いで、美しい絵画世界をつくりだす。

一方の奥村土牛は、あまり線は使わず、ぼんやりとした雰囲気の中で、少し幻想的な雰囲気を帯びた世界をつくり出す。

一見、対照的に見える表現方法を持った二人が、兄弟弟子だったというのは、興味深い。

土牛は、兄弟子の古径の真面目な性格を、心から尊敬していたようだ。

古径は、土牛に対して、絶えず絵のことを考えるようにすること、5分以上、絵のことを忘れることがないように、と語ったという。

5分以上、絵のことを忘れることのない人生とは、一体どんな人生なのだろう?

生真面目な性格の古径だが、不思議と、その絵には、独特のユーモアが感じられる。猿曳、という作品では、右の画軸猿の紐を持っている人物が、左には、嬉しそうに飛び回る猿がシンプルに描かれている。

西行法師、という作品では、西行が褒美としてもらった銀製の猫の置物を、子供に与える、という有名なエピソードを描いている。猫の置物を貰って、走り去る子供の描写には、思わず頬が緩んでしまう。

土牛の鳴門という作品は、文字通り、鳴門海峡の渦を描いているが、海の色の緑と、渦を描いている白の対比が美しい。

古径の死後、土牛は中尊寺の仏像を描いた。地元の少女をモデルにしたというが、どうも、私には、古径の面影が映されているように見えた。

2013年12月7日土曜日

幕末の北方探検家 松浦武四郎(静嘉堂文庫美術館)

松浦武四郎のことは、その名前を微かに聞いたことがある、程度にしか知らなかった。

武蔵野の面影残る森林の奥に佇む静嘉堂文庫美術館で開催された、この展覧会では、その松浦武四郎について、詳しく知ることができた。

この男、全く、とんでもない人物だった。

子供の頃から、とにかく遠くに行くのが好きだったらしい。よくふらっと家を出て、何日も帰ってこないことなど、ざらだったという。

成人すると、日本全国を歩き回るようになり、当時はまだ未開の地であった蝦夷地方を探検。その成果としての地図が展示されていたが、これが細かい。

一本一本の川、川の名前、その周りの村の名前など、実に細かく描かれている。

明治維新後、そうした実績を買われ、明治政府によっても北海道の開拓に関連した。何より、北海道という名前は、松浦が明治政府に進言し、つけられた名前だという。

松浦は、また古物の収集家、好古家としても知られていた。中国の青銅器、陶磁器、日本の古い土器や銅鏡、近世の工芸品など、実にバラエティにとんだ品々を収集していた。

松浦がコレクションを行うようになったきっかけは、幼い時に、地元の松坂にある本居宣長の鈴屋の古鈴のコレクションを見て、それがきっかけだったという。

妖怪図などで名高い河鍋暁斎とも信仰があり、晩年、自分を仏に見立てて、仏の涅槃図を描かせている。そこには、松浦が実際に収集した仏像など20点ほどのコレクションが、そっくりに描かれている。

また、引退してから、わずか一畳の茶室を造ろうとして、日本全国の寺社に、古木の提供を依頼した。出雲大社を初め、全国の有名な寺社から古木が集められたという。

松浦武四郎というこの桁外れの人物は、まさに、明治という時代を象徴するような人物だった。

生誕100年!植田正治のつくりかた(東京ステーションギャラリー)

アマチュア写真家でありながら、鳥取砂丘で撮影した、不思議な写真で名高い植田正治の生誕100年を記念した、東京ステーションギャラリーの展覧会。

家族を、自分の思う通りに砂漠に並ばせて撮影した、植田を代表する写真の数々。家族だけでなく、さまざまなパターンの砂漠での写真がある。

撮影された年代を見て驚いた。1945年の写真が多い。戦後間も無くだろうか、それにしても、戦後の混乱期といった、そうした時代の厳しさは、全く感じさせない。

植田というと、モノクロ写真が思い浮かぶが、会場にはカラー写真が多く展示されていて、意外だった。

ところどころ、写真と写真の間に、植田の言葉が紹介されている。

旅行が嫌いで、仕事以外では、ほとんど鳥取の地を離れなかったこと。生涯、アマチュアであることを誇りにし、他の写真家のアイデアを、盗むことを厭わなかったことなど、写真だけではわからない、植田の考えなどがわかり、面白かった。

砂漠で撮影した家族の写真や、砂丘モードの写真は、やはりインパクトがある。

しかし、植田は、その後も、いろいろなタイプの写真にチャレンジしていた。

そのチャレンジの中にこそ、アマチュア写真家としての植田の本質が、現れているように思えた。

2013年12月1日日曜日

日本のデザインミュージアム実現にむけて展(21_21 DESIGN SIGHT)

六本木にある、東京ミッドタウンの21-21DESIGN SIGHTで開催された展覧会。

2003年の会館以来、これまでに開催された23回の展覧会を4つのテーマにまとめ、この施設のスタートの一つの意図であった、日本におけるデザインミュージアムの開設を、改めてアピールするという趣意。

この施設も、すでに立派なデザインミュージアムだと思えるが。

最初のスペースは、CREATINGと題し、ルーシー・リィー、田中一光、倉俣史朗など、デザイナーの先人達をテーマにした展覧会を振り返っている。

続いて、広い大きなスペースは、FINDING、MAKING、LINKING、3つのテーマに分けられていた。

デザイン『あ』展、チョコレートをテーマにした展覧会。ペットボトルを効果的に使った展示で印象に残る水についての展覧会、東北の様々な民芸品や生活用品をテーマにした展覧会などなど。

こうして見て行くと、私が実際に足を運んだのは、全体の半分ほどだろうか。意外と通っているようにも、意外と行っていなかったようにも思える。

これまで訪れたことがある人にとっては、過去を振り返ることができるいい経験になるかもしれないが、初めて訪れた人にとっては、入場料に見合う価値があったのだろうか?

と考えてしまう内容の展覧会だった。

印象派を超えてー点描の画家たち(新国立美術館)

オランダにあるクレラー=ミュラー美術館の作品を中心に、後期印象、特に分割主義をテーマにした展覧会。

印象派における点描画の手法が、後期印象派を通じてオランダに渡り、ゴッホなどを通し、やがてモンドリアンの抽象的な絵画を生み出すまでを、様々な作品でその流れを辿ることができる。

会場の最初に展示されていたのは、モネの作品だった。色を線で描いて行くその手法は、その後の分割主義者たちに大きな影響を与えた。

スーラの点描画はさすがに素晴らしい。微妙な空の色合いを、スーラの点描画は見事に表現している。

スーラは、裕福な家庭に生まれ、他の多くの同時代の画家たちと違い、生活の心配をすることなく、色彩の研究と絵の作成に没頭していたが、わずか31才で他界してしまった。

しかし、その短い生涯を通じて、スーラの残したものは、あまりにも大きい。

この展覧会に展示された油絵はわずか3点だったが、十分、スーラの世界を堪能することができる。

点描画は、一般的には、色彩は上手く表現できるが、点で構成されているが故に、動きを表現することは、不得意だと言われていた。

しかし、点でなく、線を使うことで、絵を躍動的に描くことができる。ゴッホの種を撒く人、という作品は、点と線の描写を組み合わせ、色彩感が豊かで、しかも種を撒いている人の躍動感を、同時に表現している。

この展覧会は、宣伝では、どうしても、有名な、ゴッホ、スーラ、モンドリアンを前面に出している。しかし、見所は、日本ではあまり紹介される機会がない、オランダの後期印象派の画家たちが紹介されていること。

レイセルベルへ、ド・ヴェルド、トーロップ、といったオランダの画家たちは、忠実に、スーラの分割主義を継承している。中でも、ブリッカーという象徴主義の特徴を加えた画家の作品が、印象的だった。

そして、最後はピエト・モンドリアンのコーナー。

かつて、もっとも好きな画家の一人だったモンドリアン。最近は、少し熱が冷めていたが、久し振りに、まとまった数の作品を楽しんだ。

スーラの分割主義を友人を通じて学んだモンドリアンは、当時流行していた、神秘的な思想神智主義などの影響を受けながら、より抽象度を深めて行って、あの線と色だけの世界を作り上げて行く。その画風の変化を、このコーナーで追体験できた。


天井の舞 飛天の美(サントリー美術館)

サントリー美術館で開催された飛天のイメージを巡る、壮大なテーマの展覧会。

2、3世紀のガンダーラ地方の石の彫刻には、空を飛ぶ人のイメージが彫られている。ヨーロッパの天使とも繫がるそのイメージは、東アジアで、独自の展開を遂げることになる。

天女は、楽器を演奏したり、歌を歌う楽人のイメージと重なった。日本の雅楽の名でも、羽をつけ美しい衣装を着た人物画踊るという形式が見られる。

唐時代の敦煌の壁画を剥ぎ取ったといわれる壁画の一部。背中の羽根の羽毛の一本一本までが、細かい筆さばきで描かれている。

有名な、法隆寺金堂の飛天の壁画は、あきらかに中国の影響を受けている。

奈良国立博物館の14世紀の当麻曼荼羅の複写の中では、羽根を持った楽人たちが、歌い、踊る。

阿弥陀信仰来迎図の中では、飛天のみならず、阿弥陀自身が空を飛んで信者の元を飛んでくる。福島美術館の重要文化財になっている阿弥陀来迎図では、そうした仏たちが金色で描かれている。

禅の影響が強いせいか、仏教というと、地味なイメージが強いが、昔は、仏教とは大陸からもたらされた先進的なものであり、華やかなイメージに包まれていたのかもしれない。

この展覧会の目玉は、宇治の平等院の本堂の壁に飾られている飛天の展示。当時の様子を再現した天女は、原色で色鮮やかに彩色されている。

現在のくすんだ色合いからは、渋さを感じるが、作られた当初は、色鮮やかで、華やかな仏の世界が、この世に現れたように感じられたのだろう。

そこは、死んだ後に訪れる浄土の世界。西洋でいえば天国。絢爛豪華な世界であるべきだろう。