2013年12月7日土曜日

幕末の北方探検家 松浦武四郎(静嘉堂文庫美術館)

松浦武四郎のことは、その名前を微かに聞いたことがある、程度にしか知らなかった。

武蔵野の面影残る森林の奥に佇む静嘉堂文庫美術館で開催された、この展覧会では、その松浦武四郎について、詳しく知ることができた。

この男、全く、とんでもない人物だった。

子供の頃から、とにかく遠くに行くのが好きだったらしい。よくふらっと家を出て、何日も帰ってこないことなど、ざらだったという。

成人すると、日本全国を歩き回るようになり、当時はまだ未開の地であった蝦夷地方を探検。その成果としての地図が展示されていたが、これが細かい。

一本一本の川、川の名前、その周りの村の名前など、実に細かく描かれている。

明治維新後、そうした実績を買われ、明治政府によっても北海道の開拓に関連した。何より、北海道という名前は、松浦が明治政府に進言し、つけられた名前だという。

松浦は、また古物の収集家、好古家としても知られていた。中国の青銅器、陶磁器、日本の古い土器や銅鏡、近世の工芸品など、実にバラエティにとんだ品々を収集していた。

松浦がコレクションを行うようになったきっかけは、幼い時に、地元の松坂にある本居宣長の鈴屋の古鈴のコレクションを見て、それがきっかけだったという。

妖怪図などで名高い河鍋暁斎とも信仰があり、晩年、自分を仏に見立てて、仏の涅槃図を描かせている。そこには、松浦が実際に収集した仏像など20点ほどのコレクションが、そっくりに描かれている。

また、引退してから、わずか一畳の茶室を造ろうとして、日本全国の寺社に、古木の提供を依頼した。出雲大社を初め、全国の有名な寺社から古木が集められたという。

松浦武四郎というこの桁外れの人物は、まさに、明治という時代を象徴するような人物だった。

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