これだけ多くの曼荼羅を、一度に目にする機会は少ない。貴重な展覧会だ。
およそ、2メートル四方の、金剛界八十一尊曼荼羅。13世紀の鎌倉時代に作成されたものだが、実に、色鮮やか。しかも、細かい描写で、数えきれないほどの、たくさんの仏が描かれている。
修行する僧たちによって描かれたのか、あるいは、専門的な絵師たちによって描かれたのか。いずれにしろ、現代の絵を描く、という行為と、行為としてみれば同じなのだろうが、意味的には、全く違っているのかもしれない。
14世紀の鎌倉時代に作成された、愛染明王像。こちらは、色が大分落ちてしまっているが、この仏画の特徴は、この絵に描かれた文字にある。
この文字は、後醍醐天皇が書いたという説がある。武力では、劣勢にあった南朝としては、愛染明王のような、密教のパワーに、すがるしかなかったのだろう。
文字を書くことによって、この世界を変えることができると、信じられていた時代の文字を目に前すると、何とも不思議な思いに捉われる。
今日の社会において、文字には、そうした力は、すでに無くなっているように見える。
今日の社会において、文字には、そうした力は、すでに無くなっているように見える。
本物は、写真やテレビの映像でしか見ていないが、色も落ち、描かれている仏や建物も、判別できなくなっているが、この写本は、まだ色も鮮やか。本物ではわからない、細部の部分まで、よく見える。
仏教の曼荼羅というコンセプトを、神道に取り入れて作成された垂迹曼荼羅。日吉山王、春日宮、熊野などの神社の景色や、祭神が描かれた曼荼羅が、並んで展示されていた。
垂迹という方法論、外から来たものを、その形だけを取り入れるという方法論は、現在に至るまで、この国の最も基本的な、方法論である。
曼荼羅は、大日如来が、あらゆる仏に変化する様子を描いている。ひとつの原理が、すべてのものに変化したのが、この世界である、という発想は、物理学の発想と、基本的には同じだ。
曼荼羅を見ていると、さまざまな妄想が止まらなくなってくる。
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