2013年8月18日日曜日

時代を作った技(国立歴史民俗博物館)

千葉、佐倉にある、国立歴史民俗博物館で開催された企画展。

会場の入り口に、古代に作られたシンプルな陶器と、中世に作られた、漆の茶碗、陶器の器、箸などの、現代とほぼ変わらない食器のセットが、並べて展示されていた。

中世の時代に、いかに技術が発達したのか、一目瞭然。

広島の福山市の草戸千戸遺跡は、場所が中州だったこともあり、中世の村全体が、そのまま発見された珍しい遺跡。この遺跡によって、文書や絵巻物、出土品から、断片的にしかわからなかった中世の生活の全体像が、初めて明らかになったという。

中世という時代が、最近まで、あまりよくわからなかった、ということが、意外に感じられた。

おそらく、中世に発達した技術の多くは、宋からもたらされたものだろう。それが、足利幕府の弱体化に助けられ、各地に広まっていったのだ。

福岡は、宋からの技術がもたらされる玄関口であり、そうからの人々が住んでいる、宋人町があったことが、遺跡からわかっている。

織田信長が、瀬戸焼の職人の棟梁に書いた文書。その地位を保証する代わりに、自らの市でのみ売ることを求めている。地方の守護や実力者による技術の囲い込みの一例だ。

当時の職人たちの給料は、職種によって、おおよその相場があったらしい。決して高い給与ではなかった様だが、物価もやすく、十分に生活していけるレベルだったようだ。

福島県のある鍛冶屋には、自分たちの職業の始まりから、今日に至るまでの歴史が、古事記などの日本の創生神話と絡めて、長々と書かれている巻物が伝わっているという。自らの職業への自負と、正当化の意識が現れている。

中世というと、古代の貴族の時代から、武士の時代へ変化した時代、というイメージが強い。しかし同時に、宋における大きな社会の変化が、日本にもたらされ、日本の社会を大きく変えていった時代でもあったのだろう。

その後、江戸時代には、そうした技術が地方に定着、発展し、各地に特産品というものが生まれた。

モノ作り大国といわれる日本。その現代の技術大国の基礎は、中世の時代に築かれた、ということが、目の前の展示品によって、鮮やかに立証されていた。

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