2013年5月26日日曜日

オディロン・ルドンー夢の起源(損保ジャパン東郷青児美術館)

私が最も愛する画家の一人、オディロン・ルドンは、1840年にフランスのボルドーに生まれた。

病弱だったため、市内から遠く離れた地で育てられ、やがて学校に通う為にボルドーに戻ったが、学校には馴染めなかったという。しかし、絵の上手かった彼は、そうした状況から逃れるように絵に没頭した。

展示会場の最初のコーナーでは、ルドンが大きな影響を受けた、植物学者のアルマン・クラヴォーの標本画や、版画家のルドルフ・ブレスダンのリトグラフが展示されていた。

クラヴォーの植物の種子の詳細な標本画は、ルドンの後年の不思議な空を浮かぶ物体を容易に連想させる。ブレスダンの版画に描かれた深い森の暗い雰囲気にも、ルドンの描いた世界と共通するものを感じる。

ルドンは、暗い幻想的な作品を描いているかたわらで、いわゆる印象派的な風景画を描き、自らそれらの作品をエチュードと呼んでいた。何気ない、海辺の風景、砂浜にポツンと突き出た岩山など、一般的なルドンのイメージに結びつかない、色鮮やかな風景画は、深い印象を残す。

40才頃から、ルドンはリトグラフの画家として、その黒い幻想的な世界を描く画家として知られるようになった。会場には、ルドンを代表する、宙に浮いた目玉、表情を持ったクモ、台の上におかれた子供の首、などのリトグラフが延々と並んでいた。

ルドンが出版した版画集には、ゴヤやエドガー・ポーの名を持つものがある。また、フローベルやボードレールといった象徴主義の詩人達の作品をもとに作製された作品もあり、時代の雰囲気がよく感じられる。

会場の最後には、1890年から亡くなる1916年にかけて描かれた、色鮮やかな作品が展示されていた。

ルドンの描いた数々の花の絵。そこには、目玉や神話の登場人物は描かれていない。ただ目の前の花を描いているように見える。しかし、ルドンのその他の作品を知っていると、それが単なる花を描いた作品とは、見えなくなる。何かが、隠されているのでは?という目で見てしまう。

ルドンが、死の直前までイーゼルに置かれていたという、聖母、という作品。朱色のような単色で描かれた油彩画。横を向いた聖母の半身像。ルドンは、第1次大戦の戦場にいた息子の無事を祈って、この絵を描いていたという。

未完の作品と紹介されていたが、よく見ると、本人のサインは描かれていた。

シュールレアリズムという言葉が生まれたのは、ルドンが死んで後のことである。時代が一つの個性を生み出し、その個性が、新しい時代の幕を開けた。

私はこの画家について、まだまだ何も分かっていない、ということだけがわかった、そんな展覧会だった。

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