2013年9月16日月曜日

清雅なる情景 日本中世の水墨画(根津美術館)

根津美術館が所有する、14世紀から16世紀にかけての水墨画を展示した展覧会。

啓釈という15世紀の画僧が描いた、一葉観音図。一枚の葉っぱの上に、子供のような白衣観音が乗って、海の上を漂っている、という不思議な水墨画。

そのかわいらしい観音様は、江戸時代の白隠や仙厓に通じるものがある。

日本の水墨画の祖、周文の筆と伝わる、江天達意図。画面の左下には、川沿いに建てられた小さな家、そして右上の遠景に、対岸の山がぼんやりと描かれている。周文により描かれたと言われてきたせいか、その上部には、なんと12人による賛が書かれている。

拙宗等揚の山水図と破墨山水図。この拙宗等揚という人物は、現在では、雪舟の若い時の画号であると考えられている。雪舟は、京都の相国寺において、周文の元で水墨画を学んだ。

その破墨山水図は、長く牧谿の作品と考えられていた。大雑把に描いた部分と、木の枝を細かい筆先で描いた部分が混在する、何とも不思議な水墨画。

芸阿弥の観瀑図。芸阿弥は代々足利将軍に仕え、明の国からもたらされた芸術品の管理も任されていた。流れ落ちる滝壺の奥に小さな庵があり、そこに老僧と童が向かい、細い橋を渡って向かっている。

芸阿弥の弟子に当たる、賢江祥啓は、鎌倉・建長寺に務めていた。その祥啓による山水図は、滝こそ描かれていないが、その他の構図は芸阿弥の作品にそっくりで、その絵を写したことが明らかに見て取れる。

その祥啓による人馬図。こちらは水墨画ではなく、色鮮やかに彩色されている。芸阿弥に学んでいる際に、明からもたらされた絵画を写したと思われる作品。中国の絵画は、細い線を使い、馬のたてがみ、人間の髭などを繊細な表現で描いている。

直接の弟子ではないが、雪舟を慕い、その名前の一字をとった雪村周継。その龍虎図屏風は、竜と虎を向かい合わせた屏風に描く伝統的な構図。日本人にとっては、龍も虎も、未知の生き物だった。そのせいか、いずれも、どこかユーモラスに感じられる。

やがて、水墨画の流れは、狩野派という大きな流派を作り出していく。その祖、狩野正信の筆と伝わる観瀑図と、その子の狩野元信の筆と伝わる、養蚕機織図屏風。後者は、六曲二双の屏風に、蚕を育てる所から、織物にするまでを、山水画の世界の中に描いている。

等春の杜子美図。等春は、雪舟の弟子といわれ、加賀の地で活躍した。その等春を師と仰いだのが、狩野派のライバルとなる長谷川等伯だった。

この杜子美図は、一人の官吏が、小さな馬に乗って、悠々と山道を進んでいる。しかし、人物と比べ、馬が余りに小さく、重い人間を背負っている馬が気の毒になって、思わず笑ってしまう。

この展覧会で展示された水墨画の作品は、全部でわずか50点弱ながら、日本の水墨画の流れを概観できる、有意義な内容の展覧会だった。

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