恵比寿の東京都写真美術館の平成25年度のコレクション展、最後となるパートⅢでは、中国の五元思想にヒントを得て、会場を、木・火・土・金・水、の5つのコーナーに分けて、それぞれの対象を写した写真を紹介した。
アリストテレスは、すべての芸術は自然を模倣したものだ、と言ったが、写真という表現形式では、その自然のイメージを、そのまま切り取って提示することができる。
木のコーナーでは、森の風景、花の接写、木造建築の写真などが展示された。
エリオット・ポッターが、ニューハンプシャーで、楓、白樺、樫の樹木を写したカラー写真。秋の色ついた木々が、重なっている。その色があまりに鮮やかで、まるで、マチスの絵画の用に、森の中の遠近感が全く感じられない。
石元泰博による古書院の内部を写した写真。和室の障子、畳などの線が、部屋の奥の中心点に対して、完璧な対称になるように、撮影されている。
人間の感覚は、そうした対称となっているイメージを見ると、何とも言えない安定感を感じる。写真家は、時にその対称を写したり、わざと対称をずらしたり、崩したりして、独自の世界を構築しようとする。
火のコーナーでは、火山などの自然の風景を写した写真も多少あったが、ほとんどは、祭における火、焚き木、囲炉裏の火、町の灯り、などの人間が作り出した火の写真。
人間という生物は、他の生物が忌み嫌う、この火というものを使いこなそうとした生物なのだ、ということが、そうした写真から伺える。
しかし、究極の火、ともいえる原子力という技術を、まだ人類は、上手く使いこなせず、その副作用は、多くの人を苦しめている。
土のコーナーでは、広大な大地を写した写真、人間が耕作した畠や田んぼの写真など。
アンセル・アダムスのデスバレーの砂漠を写した写真。モノクロで、光の部分と影の部分の対比が美しい。自然の景色そのままのようにも見えるが、その対比は、暗室で作られたのだろう。
金のコーナーでは、金そのものよりも、金属、工場、工場から生み出された工業製品などの写真が多かった。
そこは、自然にはあまり存在しない、直線の世界が並んでいた。しかし、直線は、なぜか見るものに安心感を与える。菊地仁の何枚かの写真は、特にそのことを意識した作品だった。
最後の水のコーナーは、海や川を写した写真が多かった。人間にとって、海や川は、通り道であり、魚などの海産物を穫る恵みの源でもあった。
こうして、自然を写した写真をまとめて見てみると、そこに写されていたのは、自然の姿そのものというよりは、その自然と、人間はどのように関わってきた、ということの記録のようにも見えた。
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