東京、用賀の世田谷美術館で行われた、その収蔵作品による素朴派およびアウトサイダー・アートを紹介する展覧会。
アンリ・ルソーから始まる、ということで、会場の最初のコーナーは、ルソーの特別ルームという趣で、うやうやしく、ルソーの3枚の絵が飾られていた。
イタリアで靴のデザイナーだったオルオネーレ・メテルリが、ジョルジョーネの嵐、を模写してオマージュを表した作品。
メテルリは、靴のデザイナーとしては、国際品評会の審査員をするほどの実績があった人物だったという。
このジョルジョーネのあまりにも有名な作品には、世界中の学者たちによって、様々な解釈がなされている。このメルテリの作品は、”むずかしいことをいろいろ議論するより、単に、この絵をマネして描いてみたら?”と言っているようにも見える。
同じくイタリア人のクラーリー・シトロエン。60才になってから絵を書き始め、80才で亡くなるまで、身近な花瓶の花の絵などを書き続けた。
背景を描かず、ただ小さな花々だけを、シンプルに描いたそうした作品には、作家の穏やかな性格、暮らしが、よく表れているように見える。
草間彌生、山下清、バスキアなどのポピュラーな作家たちの作品も展示されていたが、どうしても、あまり耳にしたことのない作家の作品に、自然と目がいってしまう。
久永強も、60才を過ぎてから絵を書き始める。ある時、香月泰男のシベリア抑留の絵を見て、自分がそこにいたときの、封印したはずの記憶が鮮明に蘇り、その記憶を、多くの作品として描いた。
痩せ細った自分の姿、亡くなった友人、その友人を埋葬する場面、自分たちを苦しめた看守などの30ほどの作品が、久光の言葉とともに、展示されていた。
それらは、絵画、というよりは、記録、あるいは、歴史、といった方がいいのかもしれない。
修道院で働いている時に、”絵を描きなさい”という神の声を聞き、生涯にわたってを描き続けたセラフィーヌ。彼女が描いた枝、という作品。真っ黄色な背景に、斜めにつぼみと花がついた枝が描かれている。
戦争で心を病んでしまったカルロ・ジネッリの作品は、まるで、古代や中世の人々が描いた、神話の世界を描いた壁画のように見える。
素朴派、あるいはアウトサーダーズといわれる人々の作品には、人間が絵を描くということはいったいどんなことなのか、という問いへの、本質的な答えが隠されているように思えてならない。
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