2013年9月8日日曜日

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人(東京国立近代美術館)

東京の竹橋にある、東京国立近代美術館の企画展というと、最近では、フランシス・ベーコン、ジャスパー・ジョーンズ、ゴーギャン、パウル・クレーなど、西洋の近代から現代に向けての作家をテーマにしたものが多かった。

はじめに、この企画を目にした時、”えっ?”と思った。

会場に入ると、作品がガラスのケースに収められており、直接キャンバスと対面できる、上記の西洋の画家たちの場合との違いに違和感を覚えた。

竹内栖鳳は、幕末の京都に生まれ、明治維新後に絵を始めた。始めは、四条派の師の元で学んだが、次第に、狩野派や円山派などの技術も貪欲に習得するようになった。

初期の百騒一睡などの作品には、そうしたいくつかの手法が、同じ作品の中で同時に使われている。

そして、1900年には、パリの万国博覧会を訪れるためにヨーロッパに行く機会を得て、西洋の画家たちの手法を学ぶと同時に、そこに描かれている対象を、実物を見る機会にも恵まれた。

その際に、動物園のライオンを実際に観察したことから生まれた、大獅子図などの数々。

それまでの日本画の画題の定番だった虎の図においては、実際に虎を観察して描かれたものはなかった。円山応挙でさえ、中国の絵や、ネコの観察からの想像で、虎を描いていた。

竹内栖鳳という画家は、いつの時代に生まれても、名作を残していたかもしれないが、幕末から明治初期にかけて、若き日々を過ごしたということは、おそらく、この画家の生涯に、決定的な影響を与えた。

栖鳳は、膨大なノートを残している。そのノートからは、興味のある対象を、それがどんなもので、どのように描こうか、という栖鳳の姿勢が伺える。

ローマの郊外にある水道橋を描いた、羅馬之図。水道橋が、夕日の霞の中で、幻想的にぼんやりと浮かび上がっている。おそらく、実際の水道橋はこのようには見えないだろう。栖鳳は、ヨーロッパの風景を、日本の湿気が多い霞の中に再現したかったのかもしれない。

完成しなかった、京都の東本願寺の太子堂門の天井画のためのスケッチや練習作の数々。栖鳳は、天女を描くために、東京から女性のモデルを呼び寄せた。

いろいろなポーズのスケッチがある。栖鳳は、全体の天井画を、いくつかのパーツに分けて、それぞれを別々に完成させていこうとした。それは、若き日に、いろいろな流派の手法で描いたパーツを元に、絵を完成させた発想と同じだ。

会場の最後の、回廊のような展示スペースには、晩年に栖鳳が描いた作品が並んでいた。

ネコやイヌ、ウサギなどの、身近な小動物の絵が多い。対象を、じっとみつめる栖鳳の視線が、どの作品からも感じられる。

竹内栖鳳という、このとてつもない画家は、その生きた時代と、その膨大な観察とによって生み出されたのだった。

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