2013年6月15日土曜日

クリムト 黄金の騎士を巡る物語(宇都宮美術館)

愛知県美術館が収蔵する、クリムトの”人生は戦いなり(黄金の騎士)”を中心に、クリムトの生涯を、世紀末ウィーン芸術のコンテキストの中に位置付けた、宇都宮美術館での展覧会。

20才前後、1880年頃のクリムトの油絵の小品やデッサン。人物像や風景画など。まだ自分の画風を模索している時期で、後年の、エロスを漂わせる妖艶な女性像は、そこには見られない。

クリムトは、30才頃から、クノップフや前ラファエロ派の影響を受けながら、独自の絵画世界を作り上げていった。

ウィーン分離派展のポスター。第1回目はクリムト自身が担当し、その後は、アルフレート・ロラーらが担当した。その斬新なデザインは、今日でも決して古くない。

ウィーン分離派という芸術活動が、決して絵画だけに止まるものではなく、デザインや工芸も含めた、総合芸術運動だった、ということが、それらのポスターからもうかがえる。

マッキントッシュの有名な、背もたれの長いイスが展示されていた。どうしてマッキントッシュがここに?

マッキントッシュのイスは、分離派展に展示され、ウィーン分離派のデザイナー達に大きな影響を与えたという。世紀末のヨーロッパに共通して流れていた、時代精神のようなものが感じられる。

そして、この展覧会の目玉である、”人生は戦いなり(黄金の騎士)”。黒い馬に、黄金の鎧をまとった騎士がまたがり、直立不動のポーズを取っている。森をイメージさせる背景の緑色の中にも、たくさんの金粉がちりばめれている。

クリムトは、この絵を描いたとき、自らの絵が発表のたびにスキャンダルを巻き起こす、という状況に置かれていた。この騎士は、そうした時代に立ち向かおうとする、自分自身を描いた、と言われている。

この絵は、はじめて実業家であった、哲学者のヴィットゲンシュタインの父親が所有していたという。愛知美術館は、トヨタ自動車からの寄付金で、この絵をおよそ17億円で購入した。

ヨーゼフ・ホフマンらが主導したウィーン工房。後半は、そのウィーン工房の家具や食器などのインテリア作品が数多く展示されていた。

ホフマンのデザインによる、シンプルだが細かい部分に装飾を加えたイス、バウハウスを思わせる斬新なテーブルウェアなど。

クリムトは、ウィーン工房と共同で、部屋の内装をその金ピカの煌びやかな絵で飾った。

”ストックレー・フリーズ”は、そうした作品の一つ。ウィーンの実業家ストックレーのためにウィーン工房が建てた邸宅の食堂の壁を飾っていた。会場には、原寸大のコピーのパネルが展示されていた。世界中で、最も美しい食堂の一つだろう。

その横に長い絵は、琳派に代表される、日本の屏風絵を参考にした、といわれている。

会場には、その琳派の屏風絵や、日本から大量に輸出され、ヨーロッパ中にひろまったといわれる、衣料品に絵柄をプリントする、型紙などが展示されていた。

クリムトは、1918年1月に自宅で倒れたまま、死亡した。その時期は、奇しくも、第1次世界大戦の終わりと重なっている。

クリムトの死は、一人の芸術家の死、というものを越えて、多きな一つの時代の終わりを象徴している。

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