2013年6月23日日曜日

特集 墨蹟(鎌倉国宝館)

鎌倉国宝館にて、おなじ鎌倉にある常磐山文庫の70周年を記念して、墨蹟という名の名品展が開かれた。

無準師範は、南宋時代の禅の高僧で、日本に来日した円爾、無学祖元ら多くの弟子を育てたことで知られ、そのため、日本でもその名がよく知られている。

大きな字で、2文字、縦に、巡堂、と書かれている。これから、無準師範が、堂を巡るぞ、という自ら書いた知らせの意味があるらしい。

最初の巡、という字に比べて、下の堂は、太く、どっしりと書かれている。堂という修行の場所に対する、無準師範の思いが、よく表れている。

この書は、弟子を通じて日本にもたらされ、やがて、禅とともに発展した茶の世界において、茶席に据えられる掛軸として、珍重されるようになった。

無準師範の弟子にあたり、鎌倉の建長寺の開祖となった蘭渓道隆の書。執権となったばかりの、北条時宗の法会において、治世の安泰を祈願したもの。

本来、禅とは、修行する個人の悟りを目指すべきはずのものだが、その影響が広まるに連れて、時の権力との結びつきを強めていった。

とくに、日本にとっては、禅は単なる宗教ではなく、先進国家である宋や元の文化を象徴する存在だった。

円覚寺の開祖となった無学祖元の墨蹟。旧暦の重陽の節句に訪れた友人をもてなした時に書いたもの。無学祖元は、南宋の滅亡後、日本に帰化した。

一字一字が、丁寧に、端整に書かれており、書いた人物の人柄が、よく伝わってくる。

時代が少し下り、千利休が、知人に当てた手紙。横長で茶室には飾りにくい、馮子振の墨蹟を切った方が良いか相談され、それに対して、切らずにそのままにするようにアドバイスしている。

その馮子振の墨蹟も、あわせて展示されていた。今日まで伝わる茶というものが、その創成期においては、いかに千利休という人物の影響力が大きかったかが伺える。

ちょうど、この時期、富士山が世界遺産に登録され、鎌倉は、その選からもれたことが、ニュースになっていた。

しかし、この日の鎌倉は、大勢の人がおしかけ、人気の江ノ電は、鎌倉駅で30分待ちの行列ができていた。

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