2013年6月22日土曜日

ユトリロ展(日本橋高島屋)

何故か、昔から、ユトリロの絵が好きだった。

ユトリロは、決して、美術史にその名が燦然と輝くような画家ではない。

それでも、ベル・エポックの時代をテーマにした展覧会においては、必ず何点かの作品を目にするという、不思議な画家だ。

日本橋高島屋で開催された展覧会で、ユトリロの作品を、70点ほど楽しむことができた。

どの絵を見ても、いわゆる、ユトリロらしい絵だった。

ユトリロは、晩年こそ、体力の衰えからかやや雑になったが、ほぼ生涯を通じて、同じような風景を、同じような技法で描き続けた。

パリの街並を描くことが好きだった、ということもあるだろうが、ユトリロの保護者が、それを望んだ、という背景もあった。

幼い頃は、母親のシュザンヌ・ヴァラドンと、ユトリロとは血のつながりのない父によって、お金を得る為に、ユトリロは絵を書かされていた。

自身が結婚してからも、その妻によって、やはり生活の為に、絵を書くように強制されていた。

しかし、そうして書かれた絵は、まるで時間が止まったか、ゆっくりと進んでいるような、不思議な雰囲気を漂わせる、優しい絵に仕上がっている。

小さな聖体拝受者、トルシー=アン=ヴァロアの教会(エヌ県)、という作品では、白くて小さな、どこにでもあるような教会が描かれている。

白といっても、入り口付近の壁の白と、時計のある尖塔部分の白は、同じ白ではない。微妙な絵の具の混ぜ具合で、描き分けられている。

よくよく見ると、その絵の中には、一つとして、同じ白で描かれた教会の外壁はない。どれも、微妙な違いを見せている。

この世に、まったく同じ物など、何一つない、とユトリロは、この絵を通して語っているようだ。

父親が誰か分からず生まれ、病弱で気弱であったことから、絵描きにさせられた少年は、意外にも、72才で亡くなるまで、絶えず絵を描き続け、その作品は6,000点を超えるという。

この展覧会で、私は、どうしてこれほど、この画家の絵を愛するのか、その訳が、少しは分かったような気がした。

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