インドのミニチュアール、細密画は、11〜13世紀に描かれた仏教経典に付けれた挿画が、その起源であるという。
展示されていた、13世紀のネパールの仏教挿画は、現代から見ると、稚拙で素朴だが、当時の人々は、そうした挿画の中に、自らが信じる仏の姿を見たのだろう。
イスラム教のムガール帝国が成立すると、その強力な権力の元で、美しく華麗なミニチュアールが描かれるようになった。
そこに描かれたのは、アウランゼーブらのムガル帝国の皇帝たちやその美しい后、あるいは、ヒンドゥー教のクリシュナなどの主要な神々だった。
また、ジャイプールなどのラジャスタン地方でも、その地を収めるマハラジャの元で、独自のスタイルを持つミニチュアールが描かれるようになった。
こちらも、マハラジャの狩りの様子、美しい宮廷の女性、などが描かれているが、中には、不思議なテーマの絵もある。
盲目の女性が、花火をしている、というミニチュアール。何かの教訓か、宗教の教えを表現しているのだろうか?よくわからないが、その美しいイメージは、心に深い印象を刻む。
画家達は、優秀である画家ほど、他の地方のマハラジャに奪われることを恐れ、マハラジャによって、その手首を切られたという。まさに、手首を切られ、その手首から、ポタポタと血が流れる絵が展示されていた。
インドの画家たちにとって、絵を描くことは、文字通り、命がけだった。
18世紀後半から19世紀にかけて、カングラ派という流派の画家によって描かれたといわれる、恋人を想う女、という細密画。一人の女性が、両手を頭の上に掲げ、恋人を想って、踊りを踊っている。
私がかつて目にした絵の中でも、最も美しい絵の一つだろう。
展示の後半は、インドの染物や織物などの展示だった。
インドの染物は、沖縄の紅型や、京都の友禅染の元になった。俗にインド更紗といわれるインドの繊維製品は、日本に大きな影響を与えた。
また、インドの木綿製品は、ヨーロッパ人を虜にし、その複製を作るための努力の過程で、イギリスの産業革命が起こったといわれている。
会場には、色鮮やかで、様々な素材、様々な文様の繊維製品が展示されていた。
将来は、中国を追い抜いて、世界最大の経済大国になるといわれているインドだが、その背景には、長い年月の中で蓄積されてきた、そうした高い技術力がある。
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