2013年6月29日土曜日

写真のエステ 五つのエレメント(東京都写真美術館)

東京都写真美術館の平成25年度のコレクション展が、3回に分けて行われる。第1回目は、五つのエレメント、と題して行われた。

この展覧会のパンフレットに書かれていた、次の文章を見て驚いた。”(29,000展の作品の中から)企画者である私が感じている写真の美の在り方を選び取り、五つのエレメントに分けて紹介します。”

展覧会のパンフレットにおいて、これほど企画者が全面に出ることは珍しい。通常は、展示作品の価値を語るのが普通だが。この展覧会の企画者は、自分のことを、神のようにでも考えているようだ。

さて、その小さな施設の神による展示内容とは、いかがなものだったのか。

会場は、この展覧会のタイトル通り、五つのコーナーに分けて展示されていた。

最初のコーナーは、光。光、そして暗闇のコントラストを上手く使った作品が展示されていた。

川内倫子の作品が、区切られた一角の白い壁に、一見無造作な配置で展示されていた。写真は、写す人間の視点、感性によって、いかに大きな違いができるのか、ということを、実によく表している。

次のコーナーは、反映。写真自体が、被写体を写す物だが、被写体の中に、別な風景画が反射していると、さらに奥行きを感じさせる。

アンリ・カルティエ=ブレッソンのサン・ラザール駅裏という作品では、地上にできた水たまりに、風景画鮮やかに反射している。

続いての3番目のコーナーは、表層。写真は、絵画では表現に限界のある、物の表面の細かい部分も、克明に写し取ることができる。

アンセル・アダムスのヨセミテ渓谷を撮影した作品群。何の説明も、解説も入らない。自然の造形が、そのままこちらに迫ってくる。それは、言葉で説明しても仕切れないだろう。

4つ目のコーナーは、喪失感。雑賀雄二が軍艦島の様子を写した作品は、写真というメディアが持っている、記録という側面と、同時に、単なる記録ではない、いわゆるノスタルジーという感情を心に生み出す、不思議な効果を思い起こさせる。

クリスチャン・ボルタンスキーのシャス高等学校という作品。パリに暮らしていた頃の、高校時代の同級生たちの顔のアップを、わざとピンぼけにしてプリントしたもの。壁一面に展示されていた。

彼らは、その後、ナチスによるユダヤ人狩りを経験することになるのだが、ボルタンスキーは、彼らのその後の消息を全く知らないという。

最後のコーナーは、参照。森村泰昌がピカソやチェに扮した写真と、そのオリジナルの作品が並べて展示されていた。

文章、絵画、などの分野でも、過去の作品を参照、引用することはある。写真において、参照とは、どのようなことを意味するのか。あるいは、どんなことができるのか。

コレクション展の2回目は、写真作品のつくりかた、と題して開催されるようだ。

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