2013年6月8日土曜日

美の響宴 京都画壇と神坂雪佳(日本橋高島屋)

かねてより、最後の琳派、といわれる神坂雪佳の作品を、まとめて鑑賞したいと思っていた。

これまでは、琳派や日本画の展覧会において、多くの展示の品の中に隠れた数点を見る、といった程度だった。

日本橋の高島屋で開催されたこの展覧会で、ようやく、その機会が訪れることになった。

四季草花図屏風。文字通り、琳派、といった趣の作品。蕨、蒲公英、燕子花などの草花が、1つ1つは繊細に克明に描かれ、それが、左右の金屏風の上に、独特の空間感覚で配置されている。

白梅図では、太い梅の木は、大雑把に、墨の滲みを活かして大胆に描き、枝先の梅はその雌しべまで克明に描く、といったこちらも琳派によく見られる技法が使われている。

人物画のコーナーでは、その神坂の作品は小品が一転のみ。

上村松園の待月。縁側で月の出を待つ一人の着物姿の女性。縁側の向こうを向いているので、顔は全く描かれていない。その着物の線と、団扇を持つ右手の細いてだけで、女性の美しさを見事に表してる。

竹内栖鳳の絵になる最初。天女のモデルとなるため、裸にならなければならない女性の、服を脱ぐ前の恥じらいの一瞬の表情を捉えている。表情といっても、その半分ほどは、顔の前に持っていった手によって、隠されている。隠れた部分を、見るものの想像に任せている。見事、という他に言葉はない。

再び、神坂に戻り、杜若図屏風。一面の金箔の屏風に、杜若だけが描かれているという、琳派の象徴ともいえる題材。神坂は、先人の作品の雰囲気を踏襲しつつ、少しだけ、自分の個性を主張している。

伊勢物語や平家物語に題材をとった、団扇絵や掛け軸。物語の一場面を、かろうして想像できる人物や風景だけを描き、他の余計なものは、一切削ぎ落として描いている。

人間の認識の方法を熟知しているからこそ、こうした作品が描ける。

神坂は、絵以外にも、工芸品や染め物のデザインを多く手がけていた。それがゆえに、長く、正統的な画家とは認められなかったという。

まったく、ばかげた話としかいう他はない。

神坂の作品を一度でも目にしたことがある人間に取っては、肩書きなどは、全く気にはならないだろう。

その作品こそが、神坂が一体何者だったのか、ということを、見事に語り得るのだ。

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