2013年6月9日日曜日

ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア(Bunkamuraザ・ミュージアム)

ルベーンスの、大きな影響を受けたイタリアへの旅と、その後、帰国してから始めたアントループの工房での活動に焦点をあてた展覧会。

ルーベンスは、1600年から1608年まで、イタリアのマントヴァ公のゴンザーガ家の宮廷画家を務め、その間に、イタリア中の様々な芸術作品に触れ、大きな影響を受けた。

”ロムルスとレムスの発見”は、1612年頃、イタリアから帰国してから書かれた作品だが、ローマのある枢機卿の注文で製作された。帰国後も、イタリアとの関係はずっと続いていた。この展覧会での唯一の大作で、ローマの建国神話を描いたもの。

帰国したルーベンスは、アントワープにイタリア風の建物の工房を建て、本格的に活動を開始した。弟子には、徹底的に自分の技法を真似させ、多くの絵画を大量に製作するシステムを作り上げた。

ベラスケスの仕えた、スペインのフェリペ4世は、ルーベンスの大ファンだった。そのフェリペ4世の注文による連作のための油彩スケッチ6点。

30cm四方の小さな作品。素早いタッチで、全体の構図、人物の動き、色合いなどを描いている。ルーベンスの特徴である、登場人物の躍動感が感じられるポーズが、この段階ですでに完成されている。

当時は、工房内での分業だけでなく、個別の画題に付いては、そのスペシャリストとの共作も行われていた。

”熊狩り”という作品では、人物をルーベンス工房が描き、動物達は、動物画を得意とするフランス・スネイデルスとその工房が描いている。

ルーベンスの行きた時代においては、まだ絵画は工房によって、共同作業で製作され、今日のような、個人の芸術家が、アトリエで一人で描く、というスタイルではなかった。

ヴァン・ダイク、ヨルダーンスといった巨匠も、独立した画家として活躍しながら、ルーベンス工房でも一時期活動していたという。その二人の作品も何点か展示されていた。

写真がない当時において、版画は、絵画を広めるための有力な手段だった。有名な”キリスト降架”を、ルーベンスが自らの監督の元で作成させた版画作品。左右が逆に描かれている。

まだ著作権の確立してない当時にあっては、勝手に版画を作成されることも、よくあったという。

ルーベンスの生きた時代においては、絵画というものも、それを描く画家というものも、現代とはかなり違った状況にあったということが、この展覧会を通じて垣間見えた。

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